第4章 展開-21
味のない食事はますます細くなっていきました。家でも、律子の料理をほんの少し口にするだけでスプーンを置いてしまうと、律子は<これだけは飲んで>と哀願し、暖めてくれる牛乳を飲むだけでした。そして、律子がいちばん気にしているのは、以前のように律子を喜ばせてやれない私だったかも知れません。
「リッコ……ごめんね……少し時間をちょうだいね」
「ううン……私はいいの……お姉ちゃんにあんなことしたから怒っているの? そうだったら言って。私、これから気をつけるから。そして……私にできることがあったら……言って。お願い……」
「リッコに怒るなんて そんなことあるもんですか……そんなこと……」
私の頭に渦巻きだしたミニョンとの日々が、どうしても律子の内部でたぎっている熱を冷ましてやることを遮ってしまうのでした。
忙しく働く誰もは、私室にこもったまま出てこない私を怪しむことはありませんでしたが、所用で覗く律子も、黙って私の胸の間に顔を伏せ、用事も言わずにそっと出ていくのでした。
私は、だるい身体をソファに横たえて、強烈な夏の日差しが眩しい銀座のビルと狭い空をボンヤリと眺めている毎日が続きました。
もう何年が経ったのか、胸の奥深くに封印できたと思っていた私にとっての煌びやかな日々。ミニョンとの会話の一つ一つが昨日のことのように蘇り、耐えきれない悲しみとなって思い出されるだけでした。
二人はひとつになったのよ、と言ってくれたミニョン。生きているなら、<モンショコ……>と叫んで連絡くらいしてくるはずだと、固く信じて疑わなかったのに、やっぱり、亡くなっちゃったの? どうしてもそれが信じられない。湯河原の医院を出てから、一体何があったの……? 私を嫌いになったから黙ってプロヴァンスに帰ってしまったの? もしそうなら、<ショコが嫌いになった>だけでもいいから、もう一度だけ声が聞きたい……でも、それはないと思うわ。私の初潮にまみれて、私と同じになったと言ってくれたじゃない? でも、あの母の血を引いている私が嫌になったの……?
私が小夜子に、未練を与えないようにと黙ってしまったように、ミニョンも私に対して忘れて欲しいと思っているの? 忘れられるものですか! ミニョンは私なのよ。私はミニョンなのよ。私が不具になってしまったように、ミニョンもそうなってしまったってことね。私はもう死にたいと思ったけれど、でも死ねなかったのは、ミニョンも生きていこうとしているからよ。
でも翔子はもうだめ……。律子を愛してもやれない……あんな大切な子を苦しめているだけなんて……こんな翔子は、もう生きている価値もないの……どうせ死ぬのなら、死に場所はミニョンの故郷しかないの。ミニョン……翔子行くわ、プロヴァンスへ……
ノックの音も聞こえず、人の入ってくる気配も感じずに、胸に去来する追憶に耐えていたときでした。
「翔子……」
おじさまの声にハッとして起きあがり、慌てて腕で涙を拭いました。
「律子が泣いているよ……どうしたらいいか分からないって……」
「…………」
「いつも明るい律子の様子がこのところ気に掛かってね、無理矢理聞き出してみたよ。私は翔子がそこまでとは知らなかった……翔子のことを、誰よりも分かっているつもりの私だったが、やっぱり男ってのは大雑把だねえ。律子は翔子に一生懸命尽くしている。モデルたちは翔子を慕っている……翔子のアイデアで立ち上げた会社も立派に回転している。一見いきいきと見える時もあったからね……私は安心してしまったんだねえ」
「ええ……」
「たしかに翔子がいなくても、会社は律子と絵美が頑張れば問題なく回転はするさ。だけどね翔子、君が社内をウロウロしているだけでモデルたちも輝くし、社員たちもやる気が出るもんなんだよ。上に立つ人間ってのはそうしたものなんだ」
「ありがとう、おじさま。私はそんな支柱になる資格なんてないけど、律子や絵美は本当に良くやっているわ。私は……だめな女ね」
「それでねえ翔子……これは……見せるべきではない。私が墓場まで持って行くべきだと思っていた物だ。」
「…………?」
「こんなことなら、もっと早くに見せておいた方が良かったかと、私は今でも迷っている……。しかし……これを読んで、翔子が更に落ち込むか、自分自身で解決をつけるか……私は後者に賭けてみようと思ってね。……恭孝から届いた手紙だよ。」
「父の手紙……」
「あいつには、私にも言えない葛藤があったのだろうよ。あの後、ぷっつりと連絡が途絶えてしまっていたからね……私も、何があったのか想像するだけしかなかった。恭孝は、私に対して一時ブランクを置きたかったんだろうと思う。誰かに頼んでおいたらしく、私が手にしたのはアメリカから帰った後だったんだ。ここに置いておくから、気が向いたときに読むんだね。言っておくが……」
「…………」
「言っておくが……残酷な事実だよ。私は……」
おじさまは、まだ何か言いたげでしたが、眼鏡の奥の目を潤ませながら私を見つめ、分厚い封書を仕事机に置くと私の髪を軽く叩いて静かに出ていきました。