第2章 運命の人-4
その時の私には、神などという概念はまだわかりませんでした。でも、初めての生理の瞬間がミニョンの手の中で始まり、私の流す血を、躊躇もせずに吸い取ったときのミニョンの恍惚とした顔。私をいたわるさまざまな所作。それらの全ては、ミニョンの言う言葉に疑う余地がないことを信じさせてくれました。
私には、激しく燃える行為自体が神聖な儀式のように思えました。また、乱れ狂うことも、人をして恥ずかし過ぎると思われる行為も、恥じることなく乱れ、お互いの汗と共にソコから溢れ出るものを呑み干しました。
動物的といえばその通りです。私たちも動物なのですもの。私たちは、汚いモノ、綺麗なモノを、常識という教育によって勝手に仕分けるようにされてしまったに過ぎないのです。とは言っても、ミニョンには、私が知る日本人のそんな考え方は頭の片隅にもないようでしたけれど。
ミニョンはこんなことも言いました。もし仮に翔子から出た何かの菌で自分が冒されたとしても、それは、ミニョンが翔子そのものになったという証拠ではないか、と。
二人が幸福に浸る時間が多くなるにつけ、私の態度から何かを嗅ぎ取るのでしょうか、ミニョンと母の諍う機会が増えていくことは、私に言い知れない不安を抱かせました。
母はフランス語が堪能でしたから、ミニョンとの会話や争う内容の殆どはフランス語でした。私に聞かれても大丈夫だという思いもあるのでしょう。ミニョンが私に優しくしているのを見た時の母は、私からミニョンを引き離し私の前で争うのでした。
母のヒステリックな声とは裏腹に、ミニョンは静かに応えるのが常でしたが、時に、ミニョンが母に向かって早口のフランス語になるときがあり、それを聞く母はうちひしがれたような顔になって、恨めしそうにミニョンの手をとろうとするのでした。そんな時のミニョンは、母の手を払いのけるような仕草をし、表情を強ばらせるのでした。そうしたミニョンと母の不可解な関係を見るに付け、私はまだまだ子供なのだ、と気付かずにはおられませんでした。
中学に進むと、より遠い学校に代わりました。その女学校でも、私は登校初日から浮きあがる存在でした。さすがに小学校ほどではありませんでしたが、それでも、新しい級友たちが私を遠巻きにする状態はあまり変わりませんでした。
小学校と違ったことといえば、男の先生の態度でしょうか。私を直視しないわりには、背中を追いかけてくる執拗な目を感じました。幼くして別れた父の記憶以外、通学路や電車で行き会う無関係な男性とは違って、身近に意識せざるを得ない男性のそれは、常にまとわりつく湿気の多い空気のようでした。脂ぎった肌、ワイシャツの皺、不潔感、たばこ臭い息。それらは私の肺の中まで汚されそうな気分にさせるのです。同級生たちが、少しばかり姿の良い若い男の先生の噂をしたり、憧れを口にするのも理解できず、この頃の私は、はっきりと男性に対する忌避感を意識するようになっておりました。
新学期を1、2ヶ月ほど過ぎたある日、私は校長室に喚ばれました。
身近で見る校長は、ふっくらと柔らかいお餅のような女性ですが、男性のような身のこなしで私を招き、
「なぜ校長室に喚ばれたか分かりますか?」と、とても横柄な口調で切り出しました。
「いいえ……」
「あなたは、学校へお化粧をして来ているそうね」
「は? いいえ……お化粧なんか……」
「ない、って言うのですか?」
「はい。お化粧なんかしたことございませんけど……」
「嘘おっしゃい!」
そう断言すると、校長は<身上調査書>と書かれたファイルを取り上げ、挟まれていた紙片を指でなぞりながら、
「付け睫毛、眉墨、ファンデーション、口紅……それに香水。これだけの、まあ、告げ口は良くありませんが、生徒たちから申告事項が来ていますよ」
私は答えることができず、ああ、いつかもこんなことを言われたような気がする……と、校長から視線を外し、遠くを見るようにボンヤリとしておりました。その私の態度が、校長には愚弄されているように見えたのでしょうか、
「私を見なさい!」と、声の調子が甲高く変わりました。
「私から見ましても、この訴えは正しいように思えます。あなたは確かにお化粧をしていますね? 我が校の校則はご存じでしょうね」
「はい……存じております」
「にしては、横着過ぎませんか? 伝統ある我が中学校の生徒ですよあなたは。男性教師たちの目もあります。ご覧になったでしょ、先ほどあなたをここに連れてきた先生の態度を」
「でも、校長先生。私、本当にお化粧なんかしておりませんけど……」
「マレーネ・ディトリッヒっていう昔の映画女優だけど、知っていますか?」
「いいえ……存じませんけど……」
「そう……あなたのその、細く綺麗な半円形のような眉、その女優みたいに綺麗な円だもの。描いているか、整えるかしているんでしょ?」