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さよならの向こう側
【悲恋 恋愛小説】

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第二章 合わない視線-5

「あ、百瀬さん!これは百瀬さんのじゃないから!向こうにちゃんと用意してありますから!」
そんな和泉さんの声がフロアに響いた。
何事かと、武夫伯父さんと親父がばぁちゃんの傍へ駆け寄る。
やり場のない気持ちを抱えながら、俺もとりあえずは後を追いかけ…そこで目に映ったのは、車椅子に座りおやつらしきクッキーを食べようとしていた一人のじぃさんの手から、それを奪おうともがくばぁちゃんの姿だった。
「かぁさん!かぁさんの好きな羊羹を持ってきたよ」諭すように武夫伯父さんが声を掛けるが、まるで聞こえていない様子のばぁちゃんは、なおも必死の形相でじぃさんの持つクッキーに手を伸ばしている。
また、そんなばぁちゃんに対して、フロアにいた何人かのばぁさんたちは明らかに軽蔑の視線を送り、中には隣の人とヒソヒソ何かを囁いている人たちの姿もあった。
そして、俺は――…。
俺は、泣いていた。
怒りとか悔しいとかじゃなく、ただ悲しかった。
(ばぁちゃん…)
脳裏に浮かぶのは、幼い頃のある思い出。
確か、俺が小学校1年の夏だった。
その年も、例年と同じくばぁちゃんちに泊まりに来ていた俺は、相変わらず悪戯ばかりのくそガキだった。
家の中に蝉をぶちまけ、干してあった布団は水浸しにしてしまい…挙げ句、ばぁちゃんに追いかけ回され捕まって、いつものごとくケツをひっぱたかれた。
でも、そんな時のばぁちゃんはどこか楽しそうで、それを嬉しく思う俺は、さらにパワーアップした悪戯キングになった。
でも、ある日。
俺は、近くにあった畑から両手に持てる限りのトウモロコシを盗んで来ちまったんだ。
いや、当時の俺に明確な『盗む』という意志はなく、ただ悪戯の延長と、トウモロコシ好きなばぁちゃんが喜ぶと思っただけで、そんな子ども心が起こした事だった。
でも、ばぁちゃんは今まで見たこともないくらい恐い顔をして俺を叱ったんだ。
当然、予想を裏切られた形の俺は泣いて騒いだ。
それでもばぁちゃんは許してはくれず、こう俺に言った。
『亮、物には必ずそれを作った人がいる。そして、それを必要とする人がいる。作った人は、それを必要とする人が喜んでくれることを願い、必要とする人は、作った人に感謝の気持ちでそれを手にする。だから、必要ともせずありがとうの気持ちもないお前がしたことは、とてもいけないことなんだよ』
…正直、六歳だった俺がこの時、ばぁちゃんの言った言葉全てをすぐに理解したかというと、そうでもなかった。
ただ、盗むという行為はいけないことなんだと、それは深く深く心に刻まれて。
やがて成長するにつれ、俺の周りにも平気で万引きするやつとか、中には仲間に引きずり込もうとするようなやつも出てきたけれど、俺はこの時以降、一度も何かを盗んだことはない。
それが、あの時ばぁちゃんと俺が交わした約束だと思っていたから。
それなのに。
ばぁちゃんが、人のクッキーを…盗んだ。
「ばぁちゃん、ありがとうの気持ちはどこ行っちまったんだよ…」
涙が止まらなかった。

やがて、武夫伯父さんと親父になだめられたばぁちゃんは、ようやく少し落ち着いた様子で椅子に腰掛け顔を挙げ…次の瞬間、虚ろに彷徨う視線は俺の顔でゆっくりと一時停止した。
そのまま、何かを考えるかのようにこちらを見つめたまま動かない。
(…ばぁちゃん?)
「…りょうたろうさん!」呼び掛けた相手は俺なんだろう。
ばぁちゃんは、嬉しそうに笑って手を振った。
八十半ばのしわだらけの顔が、なぜか少女のようだった。
「ばぁちゃん、違うよ。健太郎が親父で、俺は亮だろ…」
聞こえないと思って呟いたつもりだったのに、また、ばぁちゃんは繰り返し呼び掛ける。
「りょうたろうさん」
「―――…!」
…限界だった。
俺は、見つめ続けるばぁちゃんの視線から逃げ出すかのように踵を返し、ちょうど開いたエレベーターに飛び乗った。
扉が閉まるのを背中で感じながら、それでも振り向くことのできない自分。
最低だ、俺。
「…亮くん!」
(え?)
和泉さんの声だった。
「これで終わりにしないで!明日の午後、もう一度ここへ来て!そうしたら、きっと今の百瀬さんがわかるから!本当のことが見えるから!!」
扉が静かに閉まった。

※第二章 終


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