かくてタキタかく語りき-3
ある師走のこと、正月に百人一首大会があるということで、総てのウタを覚えてこいという宿題が出た。そのため、私たちはウタを暗唱しながら二人で帰っていた。その頃には、彼は車イスだったように思う。
「千早ぶる〜、神代も聞かず龍田川ー。唐くれなゐに水くくるとはー」
私はコレが1番好きだった。在原業平の歌で、「竜田川にモミジが舞い落ちて、川面がまるで染め上げたように真っ赤になっているよ」ってな意味だったよなあと考えていると、ケイちゃんが私に声をかけた。
「な、村井。業平が見た竜田川に舞い落ちる紅葉ってどんな色だったんだろな」
「え?カラクレナイだろ?」
「だーかーら。『唐くれなゐ』ってどんな色だったのかって聞いてんだろが」
そりゃあ……と言いかけて止めた。だって、ケイちゃんは色がわかンないんだ。
私は冬の割には、痛いくらいマブシイ太陽を見上げた。
「ケイちゃん。目ェ、つぶれ」
「え?目?」
「うん」
ケイちゃんは不思議そうにしていたが、スナオに目を瞑った。私は車イスを動かして、太陽の方を向かせた。
「ほら。顔、あげて」
彼の小さな肩に手を置いて、私は上を向くように促した。
「………眩しい、な。村井」
「それが、『唐くれなゐ』だ」
瞼のウラに、燃えるような朱。それが、ケイちゃんの唐くれなゐ。
春休みが明けて、2年生に進むと、彼は少しずつ学校に来なくなった。ウチに見舞いに行こうとしたが、彼は頑なにそれを拒んだ。ヨワい俺を見られたくねぇんだよ、トカ言って、いつも玄関で帰された。
毎日毎日、頭にツメ込まれる数字や文字の羅列で、私の頭からケイちゃんのコトを考えるスキマが無くなってしまっていた。
そして、再び蝉がわんわん鳴く頃が訪れた。その日は、とても晴れていて、雲ひとつ無い空だった。
ケイちゃんは、死んだ。
動かないなんてウソなんじゃないかって思えるくらいに、キレェな死に顔だった。触れたら温もりを感じることができるんじゃないかって思えるくらいに。
でも、曇り一つ無い硝子ケースに収まっているケイちゃんは、精巧なマリオネットのようにも見えた。
ケイちゃんの声を思い出そうとするのに思い出せなくて、そんな私が不甲斐なくて情けなくて、涙があふれた。
彼は私に何一つ泣きゴトを言わなかったし、何ひとつ要求もしなかった。
何か、私に、言ってくれたっていいじゃないか。ケイちゃん。
たくさんのお墓が立ち並ぶ中、ジュンの足は迷うこと無くケイちゃんを目指した。これがダイスキだったんだ、と言って、駄菓子のチョコクランチを供える。
「久しぶり」
ジュンが一言だけ呟いた。それからは、長いこと黙ったままだった。僕が彼女の横に同じように座り込んだ時、ジュンはやっと口を開いた。
「……やっぱり、何も答えてくれないや」
彼女の吐いたため息が白く天に上っていく。
「私、彼に何もしてやれなかったンだ」
ジュンはお墓をじっと見つめたまま、一度だけ瞬きをした。ぽろぽろと涙が頬を滑り落ちていく。
「そっか」
僕は、彼女をそっと抱き寄せた。目の前にいるケイちゃんに罪悪感と優越感を覚えながら。
「よし、よし」
ゆっくり、ゆっくりジュンは息を吐き、急かすように息を吸った。
「ケイちゃんは、幸せ者ですね」
「……ど、して?」
泣きながら時々咳き込むのが、まるで幼い子のそれのようで僕は頭を撫でた。
「だってね、ケイちゃんはジュンの中でずっとずっと生きてる。しかも、超劇的にカッコいい」
そこまで話すと、ジュンは伏し目がちだった瞳を大きく見開いた。
うるうる揺れる彼女の瞳も、また美しいと僕は思った。少し狭目のおでこに軽く口付けをしてから、僕は天を仰いだ。
「僕もダイジェスト版滝田学で、ジュンの思い出になりたいよ」
「……ふふ」
ジュンが笑って、僕の顎に唇を宛てた。
彼女はいっつも真っ直ぐに生きているから、時々ポキンと折れてしまう時がある。
どうして正しいことを曲げないといけないんだって、迷う時もあるだろう。自分の行いが正しいのかどうか判断できない時もあるだろう。
そういう時に、横にいて支えるのが僕の役目だと思う。
ジュンがぐすぐすと鼻をすすった。
「今、ケイちゃんの声……聞こえた」
鼻にかかった声もなんだか愛らしい。
「何て言ってたの?」
僕がそう聞くと、彼女はへへと笑って、僕にぎゅうっと抱きついてきた。それが嬉しくて、僕も抱き返す。
「お前、イィ男つかまえたな、だって」
「僕が、イィ女をつかまえたんですよ」
風と涙で冷えた頬を指先で撫でる。彼女は嬉しそうに目を細めた。
僕は、そっと彼女に口づけた。
ケイちゃん。
ジュンの中にはあなたがいる。僕はあなたもひっくるめて、ジュンの総てを包んでいきたい。
こんな僕じゃあ頼りないかもしれないけど、これからもよろしく。