かつて滝田かく語りき-2
「なあ」
一歩先を行くジュンが、くるりと踵を返した。夕日が逆光になって、顔がよく見えない。
「なんですか?」
僕は右手でひさしを作ってから答える。ジュンは構わず続けた。
「どうして、学食で声かけたんだ?」
ああ、彼女に好きだと伝えた日のことか。
「さあ」
もう、いいじゃないか。今がこんなに楽しいんだから。
「忘れてしまいましたねぇ」
僕がそう言うと、ジュンはむくれて「タイセツな日のことなのに、忘れただなんて…」とぶちぶち言い出した。
僕はジュンの隣りに歩み寄り、豊かな黒髪に手櫛を入れた。細い首根っこを軽く掴むと、彼女は「にゃー」と摘まれた猫の真似をする。
「ジュン」
猫の手真似をしたまま、彼女がこちらを見上げた。
「ン?」
本当は。
「本当は、伝える筈ではありませんでした」
二人の間にふわりと風が吹いた。不思議と寒くない。それは、あなたが隣りに居るからだろうか。
「でもね、ジュンの顔を見ていたら、つい……言っちゃったんだ」
何故だろうな。ぽろっと口から零れてしまったんだ。ジュンなら、僕の気持ちを受け容れてくれると感じたのだろうか。
ジュンはそこまで聞くと、ぷいと何処かを向いてしまった。
怒ったかな。
そりゃ、人生の一大イベントであろう愛の告白を「つい」なんて言葉で括られたら、女の子は嫌だろう。
軽率だったと反省し、彼女に謝るべく手を握ろうとした時。よく透る澄んだ声が僕を呼んだ。
「タキタ」
ジュンのあの瞳が、僕をとらえる。きれいに切り揃えられた黒髪が、孤を描いて空を舞った。
「君でも、頭より先に手が出ちゃう時があるンだな」
にかっと笑って、僕の手を取りぶんぶん振り回す。えらく上機嫌だ。
「ふふっ」
ああ、そうかもしれない。ことにジュンの件に関しては、僕は考えるより先に体が動いてしまっている。
だってね。僕がぐだぐだ考えている間に、あなたは何処かへ飛んでいってしまうかもしれないじゃないか。
「そういや、私が気を失った時、ヨク自分の部屋に連れてイコウなんて思ったよなぁ」
……しまった。
「いや、あの時は、その…脳内アドレナリンが……ね?」
「ン?」
ジュンは小悪魔のような笑みを浮かべて、続きを伺った。
「えーと……」
ああ、ごまかしきれない。いや、もとより僕には彼女から逃げる術なんて持ち合わせていなかったんだ。
「その節は失礼をば致しました……」
ぺこりと頭を下げる。
言い訳がましいけど、あの時は僕の家に連れて行くことしか思いつかなかったんだ。あなたの家なんて、その時は知らなかったしさ。
ジュンが空いている方の手で僕の脇腹をつついた。
「むっふふふ。……シタゴコロがあったのだろう?」
無かったと言えば嘘になる。
「ささ。怒らないから、申してミヨ」
つくつく突きながら、無邪気に笑う。
しかし、あの時はまさかあなたと契りを結ぶことになるとは思いも寄らなかったんですよ?純子さん。
「まぁ、どっちでもいいじゃないですか。今、こんなに幸せなんだから。ね?」
僕がそう言うと、ジュンは振り回していた手を止め、腕を絡めてきた。そして、僕の肩にコツンと頭を載せる。
「そうだな」
彼女から僕に、暖かい気持ちが流れ込んでくる。心がほんわりして、つい顔がほころんでしまうのがわかった。
そういや、ずっと不思議に思っていたことを聞いてなかったな。
「そういえば、どうしてオリエンテーションの後、急いで帰ってたんですか」
「オリエンテーション……?」
彼女は僕の肩に頭を載せたまま、先の9文字を反芻している。しばらくして、素っ頓狂な声を上げた。
「ああ!アレか。確か10時に終わるハズだったのに、ジーサンの演説のお陰で延長になってしまってなあ」
彼女がころころ笑いながら話し出した。僕もつられて笑い出す。
「ピタゴラスイッチに間に合わない!と急いで帰ったンだ」
あまりの純子さんらしさに僕は大笑いしたが、笑われた本人は面白くなさそうにしている。
「……ったく。どうしてオマエがそんなことを知ってるのだ」
僕はあんな思いであの場に居たというのに。あなたはテレビの心配をしていたのか。
…敵わないなぁ。
彼女は、僕のように周囲に振り回されることはない。
彼女は、いつも自分にも他人にも素直で怖いくらいに真っ直ぐだ。
ふと気がつくと、夕日はすでに山の後ろに隠れ、辺りは淡い紺色に覆われていた。
「さて。今日の晩ご飯は何にしますか?」
「そうだなあ」
僕は彼女の肩をぎゅうと抱き寄せた。そして、二人で同時に叫んだ。
「親子丼!」
もう、絶対。
離しませんからね、純子さん。