男性には向かない職業-4
洗う――吸引器を綺麗にする。透明の水が、赤黒い色に染まる。
水は簡単に血を洗い流す。薄い手袋の膜を通じて冷たさを感じる。
冷水は血を凝固させることなく、排水溝へ運ぶ。排水溝が吸引器の口のように、液体も固体も関係なく吸い寄せる。臭いだけが流されず手術室に停滞する。
吸引器のパーツ一つ一つを丹念に洗い上げて、消毒行きのバケットへ入れて……はい、おしまい。
手にはめていた手術用手袋を外し、手術衣を脱ぎ、一緒にゴミ箱へ捨てる。
「……手を、洗わなくちゃ」
備え付けのブラシで、爪の隙間から指の間まで丹念に磨く。
石けんをつけて、泡立てて、汚れを落とす。
泡立つ石けんが徐々に茜色に染まる。
水が流れる音と、ブラシの音が、室内に響く。
「うう……ひくっ……」
血の付着した幻影が付きまとう。
手を洗う。
手が、汚れている。
血液を落とす。
落ちない……。取れない。
「ひくっ……ひくっ……」
「泣くな」
いつの間にか、手を洗い続ける私の後ろに先輩がいた。
「……お前!」
目を見開いた先輩が駆け寄って私の手を取る。
先輩が乱暴な手つきで石けんの泡を洗い流すと、現れた私の手は傷だらけになっていた。
自分の手の状況を理解して、ようやっと脳にピリピリとした痛みが伝わってきた。
「……ったく。手袋填めてんだから、手は軽く洗っておきゃいいんだよ」と先輩は吐き捨てた。いつもと同じようにキツイ口調なのにどうしてだろう、暖かい。
「……大ざっぱすぎるのは不潔です」
「それにしたって、お前のはやりすぎだ!」
水で洗い続けた私の手は冷えきっていて、先輩の手が熱く感じる。
傷が暖められ、痛みが増す。
手なのか胸の奥なのかが、刺さるように痛い。
「……先輩。どうしてこんなコト、しなきゃいけないんですか」
「これが、私たちの仕事だ」
「う……うぅ」
胸が締め付けられて、息ができない。
口の中が塩辛い。
唇を結んで、ぐっと耐える。
でも、すぐに吹き出して嗚咽になる。
私は、命が産れる瞬間の手助けをするために、助産師になったのに。
こんな仕事をやりたかったわけじゃない。
私は人殺しになりたかったわけじゃない!
仕事が終わった後、先輩に飲みに行かないかと誘われた。まだ胸の中にむかつきが残っていたけど、すごく酔いたい気分だった。酔って何もかも忘れてしまいたかった。私は先輩と一緒に、近くの居酒屋へ飲みに行くことになった。
先輩と入った居酒屋の表札にはでかでかと『焼き鳥』と書かれていた。
「嫌がらせですか!?」
私は目に涙を浮かべて抗議した。
「仕方ないだろ? 病院の近くにはここくらいしか飲める場所がないんだから」
「にしたって、私はアレを見たんですよ? ……うぷっ」
昼間に処理した人型を思い出し、酸っぱいものがのど元にせり上がってきた。
慌てて口を押さえる。
「おいおい、吐くなよ? 出入り禁止になったらハルカを恨むからな」と先輩は口悪く言ったけど、私の背中をさすってくれた。
運ばれてきたビールで酸っぱい物を飲み下した。気分は相変わらず悪かったけど、蒲池先輩が私の背中をばしばしと叩くから、それに気を取られて、今日の出来事をあまり深く考えずに済んだ。
酔っぱらった蒲池先輩に私は首根っこを掴まれたり、ポニーテールを引っ張ったりされた。
大暴れした挙げ句に先輩はテーブルに突っ伏していびきをかいて眠ってしまった。
……私は、この人をどうすればいいのだろう?
先輩をどう処理したらいいか考えると、頭が痛くなった。