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深淵に咲く
【純文学 その他小説】

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深淵に咲く-6

しばらくすると、場内アナウンスと共にゆったりと天井の照明が落とされた。
照明が消えたにも関わらず窓に取り付けられた暗幕から光が漏れ、ホールは美優が思ったほどに暗くはならなかった。
この舞台は暗闇が大事なのに……と、美優は非常に残念に思ったが、このホールはあくまで多目的であり、演劇舞台公演用ではない。
緞帳(どんちょう)は横開きだし、天井が低いので照明を吊す為のサスバトンもない。ステージ横と前からのピンスポットライト、ステージ足下の地明かり(フットライト)は設置できたが、それでも美優は納得がいかなかった。
暗闇。照明の光。それらが織りなす幻想的な影。
美優の思い描く舞台を作るためには、残念ながら村の設備だけでは到底足りなかった。しかし、現状がどうあれ所長が身を粉にして集めてきた照明装置である。そう考えると、美優は設備への不満を飲み下すしかなかった。
――勝負は照明じゃなく、みんなの演技だ!
美優は気落ちする前に考えを振り払った。
上演開始のブザーが鳴るとホールに集まる皆が口を閉じ、唾を飲み込むのさえ躊躇われる程の空気が辺りを支配した。
一人が耐えきれずに咳払いをすると、違う数人がそれに合わせて同じように咳払いをする。
皆、居心地が悪いにも関わらず暗黙の了解の元、無音を守っている。
それがまるでシスターのようだと、美優は思った。



ホール観客席側からピンスポットライトが灯される。
それに合わせ、唐草色の着物を纏った前向上役の少年が上手(かみて)から姿を現した。
舞台上手側に前向上が袖を振り、優雅に腰を下ろす。
「これは、深い深い森の中にある集落で生活する人々のお話です。この森では木の実や動物がよく採れ、何不自由ない暮らしが営めました。
この森には電気を使った機械などは一切ありません。とても原始的ですが、森の住人は不自由しなかったのです。森を出れば機械に囲われた、森の暮らしよりもよりよい生活を営める街が広がっています。ですが、森の住人達はそれを知りません。この森での生活が全てであり、幸せはここにしかないと信じているから、森を出よ うとも思いませんでした。
このお話に登場する老人から子供まで、現在この森の集落で生きている全ての人達は、今の生活に疑問を抱くことはありません。物語の主人公『ハナ』も同様に、今ある生活に疑問を抱くことはありませでした」
片手に持つ閉じた扇子をピシャリと地面へ叩きつけた。
「物語は鬱蒼とした森の中。集落伝統の、森の精霊を讃える宴から始まります。どうか最後までごゆるりと、物語をご堪能ください」
前向上がお辞儀をし、ピンスポットライトが絞られる。
暗転。
前向上が上手(かみて)にはけると同時に緞帳が横へ開いた。
背景には鬱蒼とした森の木々が描かれた木の板が取り付けられ、その奥には白い(ホリゾント)幕がある。
子供達は村人に扮し、たき火を囲っている。
それぞれが毛皮で作られた衣服を纏い、長い棒を手にしていた。



少年が前向上を終えると、ホールはわき上がるに拍手の音で揺れた。バケツをひっくり返した豪雨のような拍手に混じり、美優も我を忘れ力一杯手を叩いた。
滑り出しはよかった。彼が語る前よりもさらに観客の空気が鋭く引き締まっている。それは観客が舞台へと集中した証しだった。
彼の前向上への起用はやはり間違いではなかったと、美優はほっと胸をなで下ろした。
「あの子、ずいぶんと上手かったわね」と美優の耳元でシスターが囁いた。
「はい。物語は導入が命です。最初でうまくいくか躓くかによって、舞台の善し悪しが決まると言っても過言ではないでしょうね。だから、一番上手く語れるあの子を選びました」
美優は息を殺しながらも、多少得意げになって返した。
前向上は演技力よりも、語りのテンポと正確さが要求される。全く動かずに語りだけでお客を引きつけなければいけない。この演劇の中で最も重要な役と言えるだろう。
シスターが得意げな美優を見て優しく微笑んだ時、緞帳が開ききった舞台から大音量のBGMが轟いた。それに驚いたシスターが弾かれたように肩を振るわせた。


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