缶コーヒー-8
良太は黙ってうつむいていた。もう日が落ちかけている。十月にもなると夕方はぐっと寒くなる。私は手と手を擦り合せた。
良太の涙も私の涙ももう乾いた。泣いた後の肌は突っ張る。寒さで少しヒリヒリする。
唐突に良太が話し出す。
「ねぇ、美紀。英語得意?」
「まぁ、英米文学科だからね。一応は・・・。」
「じゃあ、俺の家庭教師になって。親にはT大の人だからって言ったら大丈夫って言うだろうから。」
「待って、それは無理。」
「なんでだよ。」
母の再婚相手の娘と息子、つまり良太と桃子には私の存在は知らされていない。母の家庭に私は入れない、入りたくない、見たくない。
「父さんに頼めば高いバイト料は他のバイトするよりずっと上げられる。」
「お金の問題じゃないの。」
「だったら何?俺が嫌いとか?」
大きくため息をつく良太。顔が急に不機嫌になる。
「そうじゃない・・・。そうじゃない・・・。」
「あなたのお父さん小林剛史さんでしょ。新しいお母さんは小林早紀子。妹は桃子、中二。あなたは小林良太、高三。」
良太は目をまん丸にしてこちらを見た。
「何?どうして知ってるの?ストーカー?」
私は吹き出した。
「何がおかしいんだよ。」
「私、あなたのおばさんの娘よ。私達血の繋がってない兄弟なの。」
また沈黙。
「えっ?何言ってるかわかんない?あのおばさんの娘・・・。子どもいたの?あの人・・・。じゃあなんで、美紀はうちに来ない。」
「知らないわよ。私の知ったこっちゃないわよ。お母さんが勝手に私の存在を消したの。」
「そんな。美紀・・・。」
急に良太に抱きしめられた。私は驚いたけどじっとしていた。良太が肩を震わせている。私もつられて涙が出た。
「ごめん。ごめん。美紀。」
「別にごめんじゃないよ。大丈夫、良太。私は平気だから。」
「でも。」
「もう、会うこともないね。さよなら、弟さん。」
私は公園から走り去った。風が冷たくて足も冷えてたのでいつもより速く走れない。今日はスニーカーできてよかった。私は出せるだけの力を出して走った。後ろに良太の声がする。かまわず走り続けた。泣きながら地下鉄に乗った。帰って拓ちゃんに会いたかった。でも今日はそれも出来なかった。最低だ何の罪もない良太を傷つけた。
六
あの日から、三週間くらい経った。もう十一月新しいコートを買った。去年のコートは学校用で紺色のPコートだったから、今年は淡い水色のかわいいコートを買った。特に変わったこともなく私はきちんと大学に通っている。学校も一回行くペースが出来れば毎日ちゃんと行ける様になった。
でも良太に会うことはなかった。私は良太のことが気になっていた。それが恋かどうかはわからなかった。あまりに良太との出会いが衝撃的で心に残っただけかもしれない。今では確かめるすべもない。
もう二度と言葉を交わすこともないと思うからだろうか。余計に思い出す。良太の一つ一つの動作、交わした言葉をふとした瞬間に思い出す。会っても話すことはないと思うけれど、T大通りを通るたびに制服姿の良太を探してしまっている自分がいた。会ったらどうすればいいのだろうか。
拓ちゃんに恋をしていたのだとずっと思っていた。でも、最近になって気がついた。拓ちゃんに求めていたのは私を一番に思って大切にしてくれる気持ちだった。優しくしてくれる家族で兄だった。別に彼女じゃなくて良かった。ただどうしたら拓ちゃんの中で私が好きな人間一位になるのだろうかと考えたすえ拓ちゃんの彼女になりたくなった。誰でもいい誰かの一位になりたかった。