はるか、風、遠く-5
「けどさ、邪魔なんて思ってないんだから気なんか使わなくても」
「蓬は……」
蓮の言葉を遮って、あたしは話す。
「もし蓮がそう思っていても、蓬はどうだろうね?彼女は蓮と特別な関係になりたかったから告白したんじゃないのかな」
蓮が黙る。校舎に響き渡る雨音が静けさを遮っている。
「蓬はあたしの親友よ?彼女の幸せがあたしの幸せだから」
嘘つき。心の中で思う。
蓬が幸せなのは嬉しいけれど、あたしは幸せ?心の底からそう思っているの?
そうじゃない。頭では分かっているのに、よかったじゃないって思っているのに心は裏腹で。
こんな自分が嫌だ。素直に喜んであげられない自分が最低に思えて、余計に惨めになる。
どんどん自分が嫌いになるの――…
無言のあたし達。雨音と足音だけが空間に存在している。
「………辿…」
蓮があたしを呼んだ丁度その時。目の端に人影が映った。
正直、助かったと思った。これ以上惨めにならなくて済んだから。これ以上考えなくて済んだから。
「遙!」
進行方向から左の廊下を歩いていた人物を呼んだ。それと同時に蓮のもとを離れ、彼に向かって走りだす。
くる、と振り返りあたしを見止めると、遙は立ち止まってくれた。
「勉強してたの?」
駆け寄り、作り笑顔で尋ねる。
「いや、図書館で本読んでたんだ」
にこ、とあの笑顔。今まで腹が立ってならなかった彼の笑顔が、瞬間、心にしみた。
「あ、蓮」
遙があたしの後方に立ち尽くす人物に気付き、片手をあげる。
「一緒だったの?」
遙に問われたけれど、声が、出なかった。遙の笑顔が心の掛け金を外したから。封じ込めたものが全部、溢れだしそうになっている。
「蓮!」
振り絞った声。微かに震える。
「あたし、遙に用事あるからここで」
彼に背を向けたまま手を振った。刹那の沈黙の後、分かったと蓮の声。廊下を歩く音が聞こえ始め、そして遠ざかっていく。
「さっき下で会っちゃってさ」
あははと笑いながら告げる。掛け金を止めようと必死で。何も漏れださぬよう、急いで。
とすっ
頭に手が乗っかった。大きくて温かいその手はやわやわとあたしの髪を撫でる。
「部活なの?今から。袴で走ってくるからびっくりしちゃったよ」
物腰の柔らかな言葉。ふぅわりとあたしを包み込む。
「今日は雨だから、いつも嫌がっていたランニング、しなくていいね」
わざと触れずにいてくれた。彼のことも、泣いていることも。
ぽたん
廊下に水滴が零れた。雨漏りではない。
「は…る……っ」
遙の名を呼ぼうとしたけれど、口から漏れだすのは嗚咽ばかり。
遙はそんなあたしの頭を何も言わず撫でている。
ああ、遙だって辛いのに。あたしばかりじゃないのに。
蓬はもう手が届かない所に行ってしまって、本当は彼だって泣きたいはずだ。なのにあたしが泣くせいで、遙は自分の悲しみに浸る時間もないんだ――…
「う―……ごめんね、遙…っく、ごめん」
謝っても意味が無いことくらい分かる。あたしが泣き止まなければ解決しないのに、涙は馬鹿だ。終わりを知らないようにあとからあとから頬を伝っていく。
「…辿、今日は一緒に帰ろうか――…」
咎めることを知らぬ声は、相変わらず穏やかに響く。あたしはしゃくり上げながら頷いた。
結局遙は、あたしが泣き止むまでずっと傍にいてくれた。