交差点-3
二
汗がシーツまで染み渡っていた。一瞬わけが分からなくなってしまっていて、“夢”だと気付いたのはその数秒後だった。そして、心底ホッとしたのだった。
チュンチュンと、小鳥の鳴き声が聞こえてくる。澄み渡る青空は、こちらを包み込むようだった。いつも通りの朝、ではない。いつもは昼過ぎにのそのそと起きてくるのが日課だった。あれから一年。真一は、胸を踊らせ感情が高ぶるのをばれないようにするのを必死で考えていた。
『真一!起きてー!』
と、一階から二階へと声が響き渡った。もう起きてるのに、と面倒くさいと思いながらも、久しぶりのこの状況に悪い気はしなかった。
あえて返事はしないまま、ゆっくりと一階へ降りる。
『良かった、ちゃんと学校行く気はあるのね。』
と、微笑んだ光子は久しぶりの弁当をつくることに嬉しさを感じ、それを隠しきれずにいたのだった。そのことに感づいていた真一は、何も触れることはなくそのままソファーに腰掛けた。リモコンを手に取り、赤い電源ボタンを押す。小さな音がして、画面に不細工な男が出てきた。ギャグを一発かまして、観客からドッと笑いが出る。そんなに面白くはないだろ、と胸中では感じながらも、やはりどこかほくそ笑んでいる自分がいた。
『ほら、早く支度しなさいっ。』
と、軽くお尻を叩かれた。痛いよ、などと小声で言いつつ、なおもこの平穏な光景に心が安らぐのだった。
ハンガーにかけられた、アイロンがけをした皺ひとつない新品のような学生服を手に取り、一瞥した後“それ”に袖を通した。久しぶりの感触。まるで、新入生のような気分だった。中学二年生の頃に比べると、やはり縮んでいることに間違いはなく、そのことに対して自分の成長を誇らしく思えた。
『母さんっ、弁当できた?』
カッターシャツの襟を折り曲げ、光子に問う。
『今、できあがりましたよ、と。』
“と”の一言を言ったそのときに、弁当を包むバンダナの端を最後に一締めした。その後、弁当を真一に渡した光子は真一に優しく手渡したのだった。
『忘れ物はない?ちゃんと全部持った?』
『大丈夫だよ、心配いらないって。』
『そう。』
若干元気がなくなった事に不安を感じた真一だったが、光子は本当に元気がなくなったわけではなかったので、真一もそれを察して何も言わなかった。
『じゃあ、行ってきます。』
『行ってらっしゃい。』
久しぶりのこのやりとりに心が弾む。何もかもが久しぶりであることに、新鮮な感情を抱きながら真一は家を後にした。
我が子を見送った光子は、玄関に背を向けつけっぱなしのテレビの音が聞こえるリビングへと入っていった。
「次ののニュースです。昨日お知らせしました○×中学校の生徒が何人もひき逃げされる事件についてですが、雨につき今日再び学校閉鎖する予定です。」
光子は驚愕した。この時、はじめて事件の事を知ったのだった。パニックを起こし、どうすればいいのか思考回路も上手く回らない。真一は大丈夫なのだろうか。不安を抱きながら、どうすることもできずただただテレビの画面を見つめていた。
雨。雨が関係しているのだろうか。もしそうならば、今日は安全である。なぜならば、空は真っ青な綺麗な空なのだ。太陽が一直線に光を放ち、空はどこまでも透き通っている。こんな状況で雨が降るはずもないだろう。安心することに必死で努めた光子は、我が子に限ってそんな事はあり得ないと変な考えは持たないことにした。
後から考えれば、この行動はおかしかった。もっと早く真一を止めに行くべきだった。しかし、このときの気が動転した光子には到底できないことだった。そんなとき、一本の電話がかかってきた。
『はい。』
『新庄さんのお宅でしょうか。』
『そうですけど……。』
急いでいる、そんな様子だった。
『真一君はいますか。』
『えっ?いない…ですけど。』
『まさか、もう学校に?』
『え、ええ。それが、どうか?』
驚き方が尋常じゃなかった事で、光子は段々と焦りを募らせた。しかし、光子の質問に全く答えない太一に、光子はしびれを切らした。
『どうかしたんですか。』
若干強い口調で言った光子に対し、静かな口調で言った。
『実は……。』