始まりと、終わりの日(あの夏4)-1
財布を拾った。
バイト先の、コンビニで。
真っ赤な皮でできた、小さなその財布の持ち主を、僕は知っていた。
いや、知っているのとは、少し違うかも知れない。
正確には、レジで接客をしたことがあるだけ。
つまり、この店のお客さんだ。
夏休みになって少しが過ぎた頃から、毎日来るようになったその女の人は、いつも同じものばかり買っていく。
黒く長い髪にとても似合うその赤い財布を、僕はよく覚えていた。
正直に言うと、毎日その人のレジを打つのが、僕の小さな楽しみだ。
何故かって訊かれたら、うまく答える自信はない。
たぶん、その人の雰囲気だとか、作り出す空気だとかが、僕をひきつけるからだろう。
高校生の僕よりは、たぶん年上だと思う。
この時期の昼間に毎日来るってことは、大学生か専門学生なのかな。
それとも、もしかしたら、何もしてないお嬢様なのかもしれない。
今どき、そんな人がいるのかどうか知らないけど、もしそうだと言われても、納得してしまうような空気を彼女は持っていた。
きつく、そして柔らかな、すごくアンバランスな空気を。
その財布を拾った次の日、僕はずっとわくわくしていた。
店に行ったらまだ財布は預かってあったし、今日も彼女はきっと買い物に来ると思ったからだ。
彼女と話せるだろう初めてのチャンスに、胸が踊らないわけがない。
なのに、いつもの時間を過ぎても、彼女はやって来なかった。
午後になり、外の気温が一層上がる頃になっても、姿は見えない。
明日はバイトは休みだ。
きっと、他の誰かが、彼女に財布を返してしまうんだろう。
なんだかとても落ち込んだ気持ちで、俯きながらレジを打っていたそのとき、カウンターにひとつ、アイスが差し出された。
必要以上に勢いよく顔をあげると、そこにいたのはやっぱり彼女だった。
いつもの黒髪に、クラシカルなワンピース。
だけど、いつもはふたつのアイス、どうして今日はひとつなんだろう。
そこに置かれたソーダ味のアイスをレジで打ちながら、僕は思った。
そうこうしているうちに、彼女は、ちょうどのお金をカウンターに置き、早々と店を出ようとしている。
てっきり財布のことを訊かれるだろうと思っていた僕は、大急ぎで彼女を追い掛けた。
「あ、あの!」
飛び出したのは、なんとも情けない声。ちょっと震えてたりするし。
まあいいか。とにかく、彼女は振り向いた。
「この財布、落としませんでしたか?」
彼女は、僕が差し出したその財布に不思議そうな視線を一瞬だけ送ると、「ああ」と、やっと合点がいったような声を出した。
「ありがとう。なくしたような気はしてたの」
財布を返すとき、ちょっとだけ触れた手が冷たくてどきどきした。
ますます情けない。馬鹿みたいだ。
それにしても、彼女はなんだか変わった人なのかもしれない。
財布を落としておきながら、なくしたような気がしてた、はないだろう。
おまけに、今日は平然と、玩具のようなビーズのがま口財布を使っていたし。
その場でぼんやりとそんなことを考えていたら、再び店を出ようとしていた彼女が急に振り向いた。