飃の啼く…最終章(後編)-39
「あなた…?」
そして、自分の手の下にある澱みの手が、ぼんやりと薄くなってきていることに気がついた。
「あ…手が…!」
「分かってる。あまり魂の力を使いすぎるわけにもいかないから…限界まで、自分の力を注ぎ込むんだ」
そして、彼を心配そうに見つめる茜に、彼は微笑んだ。
「どっちみち、あの光を浴びたら、これ以上存在を続けることは出来ないさ…」
そう言った彼の表情は、幸福に輝いているように見えた。それともそれは、辺りを眩しく照らし始めた朝日の見せた、幻だったのだろうか。
「”会えば分かる”と、お前は言ったな」
茜は頷いた。彼は再びさくらに向き直り、幸せな寝顔のようなその顔を見て再び微笑んだ。
「あの言葉は本当だった…」
彼は目を閉じ、ほとんど透けそうになっている顔で天を仰いだ。
「さくらが目覚めたら、伝えてくれ…名前を付けてくれて、有難うと」
無から有を生み出したのは、他でもない、彼女だ。総ての存在の起源である無と言う名に、彼女の心が有という希望を見出してくれたのだ。彼は消え行く意識を抱えて、自分が無に還るのだとは感じなかった。なぜなら、彼女の心の中に、自分の記憶が残るから。輝かしい朝日に解けてゆくゆうは、最後の最後まで、優しげな微笑を留めていた。
目を閉じて詠唱を続ける戦士たちの誰一人として、彼の消える瞬間を見たものは居なかった。ただ、茜の目の前で俯いていた飃の頬から、一筋の涙がこぼれるのを、茜は見た。
そして……
青空に響き渡る詠唱。その響きの中に、小さな声が聞こえた。
「ん……」
そして、戦士たちは、八条さくらの瞳が、再び開くのを見る。朝焼けの光を映して、その瞳がいきいきと、美しく輝くのを。
「飃…?」
彼女は言った。それは小さな声だったが、彼女は生きていた。幽かな声だったが、彼女は生きていた。
「なんだ…?」
答えた声は、涙に潤んでいる。
「空が見える…」
「ああ…見えるよ。戦いは終ったんだ、さくら…」
さくらは目を閉じた。眠るためではなく、微笑むために。