飃の啼く…第26章-7
「いっくよ〜っ!」
スポ根マンガみたいに足を上げて、バッターボックスで踏ん張る山彦(やまびこ)の子供を見る。
「ピッチャー、八条、振りかぶってぇ…」
忘れてた。ピッチャー兼監督兼監督兼…実況だ。
「守森(まもり)〜!気張れよぉ!」
ベンチ(と言うことになっている大きな木陰)に控える、狗族の女の子が声をかける。流石は子供…会ったことなんか無くても、すぐに仲良くなってしまう。
「でやっ!」
球技はからきし駄目な私は、子供相手だからといって加減する必要はない。玉のコントロールだって何とかなる程度のものだ。玉の軌跡を自由にあやつることにかけては、相手チームの神立には到底及ばない。私のめちゃくちゃな投球を見る目に笑みが浮かんでるのも仕方無い。
パコン!という小気味良い音がして、玉が真っ直ぐ飛んでいく。
「あぁ〜っ!」
と言う歓声を追い抜いてのびる
「こんちくしょ〜っ!」
の声。二塁を守るカジマヤが全力疾走で、今まさに森の中に消えようというボールを追いかけて行った。二塁にいた烏天狗の縹(はなだ)は今ホームに戻った。守森も三塁を回って、嬉しそうにホームの仲間の中に飛び込んだ。それを満面の笑みで見ていた私は、当然後頭部に迫るカジマヤの送球に気付くはずもなく…
「さくら〜!後ろ後ろっ!」
「ん?」
丁度振り向いた私の顔面に、真っ白な玉が気持ちよくめり込んだのだった。軟球はそのまま真上にバウンドし、静まりかえったグラウンドに、バウンドする度パスンという音をさせた。
「…ぷっ」
カジマヤが吹き出して、皆が釣られて吹き出した。それからはもう爆笑の嵐。もう何がおこっても笑えた。皆して膝が折れるほど笑って、笑って……その時は、黒い海に沈む故郷の事を忘れる事が出来た。これから何処に向かうにしろ、その地が死地となる可能性が限りなく高いことも。ここにいない大人達が、皆、生き残るのために集まって話し合いをしていることも。
「…何がそんなに面白いのだ?」
不意に頭上から落ちてくるつららの様な声。青嵐会幹部(だったということはつい最近聞いたのだが)の一人、秋声が後ろから声をかけてきた。とたんに子供達の笑顔は消えた。もちろん、私のも。
「こんな状況で、その様な遊びに興じている場合か?こんな…」
秋声は黙り込む子供達を無機質に見渡した。まるで、朽ちかけた墓石を見るように。
―あぁ、また…子供達の顔が、戻ってゆく。ここに着いた時、声にならない悲鳴を、かわりに湛えていたたあの眼差しに…
「何人が死んだ?何人が家を失った?何人が…」
「何人も、何人も…」
声を殺して詰め寄った。
「沢山喪ったし、沢山失ったわよ…っ!でもね…生きてるんだ、私達は!!」
蝉は空気を揺らしていた。その揺らぎは、遥か遠くで起こっているようだった。辺りは余りに静寂で、その空間に存在するものは、物言わぬ草木すら敢えて沈黙しているように思えた。
「…過去を未来に進む理由にしちゃいけないんだ…!」
「未来、ね」
見下ろす目は冷たかった。それを見返す私の目が、燃えているようであればいいと思った。
「人間はその言葉が好きだな…だが人間。お前達が信仰を失った今の世に…」
彼は背を向けた。私は握った両手に力を込めて…ただ、立っていた。
「我々のための未来など、無かったのだよ…」
私はその背中をにらんでいた。