Stormcloud-29
「僕に殺された人は、もっと辛かったよ」
「傷を…」
「え?」
「傷を見せよ、神立」
神立は断ろうと思ったが、格子をはさんで向かい合う彼女の手が自分の手の上に重なり、言葉が出てこなかった。何と無く断るタイミングを逃してしまい、神立は仕方なく立ち上がって、ぎこちなくシャツを脱いだ。
「ああ…」
神立は春雲に背を向けて座っていたので、彼女の声が震えていたときには心底驚いた。彼女の指が、ためらいがちに背中の傷跡に触れる。神立は妙な戦慄を覚えた。鞭打たれた傷を自分で見たことは無いが、多分見たいと思うようなものではないだろう。彼がそそくさと服を着ようとすると、春雲が言った。
「この傷は…この傷はそなたの過去の償いにはならぬのか?」
神立は手を止めた。暖かい手が、癒すように彼の背中に触れていた。
「償いなんて…要らないんだ」
神立はゆっくりと春雲に向き合った。夜の蒼さが、部屋を満たしたみたいだった。春雲は神立の頬の“7”と、その上の×状の傷に触れた。
「わらわは…汝を咎めぬ」
なぜか、その言葉に涙が溢れた。
「よいか?何人の亡者が夢に立ち、神立、お前を責めても…わらわはおまえを咎めたりはせぬ。決して」
涙が春雲の指を伝い、神立は静かに目を閉じた。自分が護られていると強く感じながら、同時に彼女を護りたいと言う気持ちが強く芽生えた。生まれて初めてだった。誰かを、こんなに切実に守り抜きたいと、自らの手で、命を賭して最後まで護りたいと感じたのは。
その時、神立の背筋を、恐ろしい旋律が駆け上がった。
「澱み…!?」
数が多い…先日感じた戦慄はもっと大人しかった。これはまるで…澱みの体内でも居るような圧倒的な不快感だ。
「ここから出して、春雲!」
「し、しかし、鍵が…」
春雲がわたわたとあたりを探している間にも、澱みの気配は刻一刻と迫る。鍵は番人が持っているのだろうか…スペアのようなものがあればいいのだが…牢を握って外をのぞこうとする神立の目に、一番見たくないものが飛び込んできた。
「春雲、逃げろ!澱みが入ってきた!」
だが、出口がいくつあるのか神立は知らない。春雲は知っていた。出口は、いま醜悪な澱みが塞いでいるもの、唯一つ。
「へへぇ!綺麗な娘っこがいるじゃねえか、おう」
大きくはない…神立は思った。しかし、足が1、2…8本。ということは人型で、中級の澱みで、4体いる。春雲は鉄格子の傍らに片ひざをついた。
「何してるんだよ、逃げろったら!君がかなう相手じゃない!」
澱みが一斉に笑った。ぬちゃぬちゃと近づく足音がする。格子をつかむ神立の手を、春雲が握り、そして澱みと格子の間に立った。笑い声が大きくなる。