飃の啼く…第24章-1
「お心は、本当に変わらないのですか」
彼はうなずいた。素早く軽率なものではなく、ゆっくりと優柔不断なものでもなく、その中間の速さで、一度きり、うなずいた。その迷いの無さが彼女の胸を衝いて、浅いため息を漏らさせた。
「そうですか…。なんだか、帰る家がなくなってしまうような気が致します」
「帰る家なんかどこにだって作れるさ」
言って彼は南風の頭を撫でた。
「そうだ…」
蝋燭の明かりも届かない真っ暗なはずの天井に、彼は何を見ているのだろう。覗き込む横顔は、とても真摯で、強い。
「また、作ればいい」
青嵐は、蝋燭の火を吹き消した。
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その日は、青嵐会の本拠地で行われた会合に呼ばれた最初の日だった。最初に与えられた2週間と言う時間を、すでに3日、使っていた。世界は相変わらず静かに回り続け、学校も、町も、重大な秘密を知っていてあえて沈黙する何かのようにただ平穏だった。こんな時に、目だけぎらぎらさせても仕方が無いのだということはわかっている。
「少なくともあと11日の間は、戦いが起こらんということだ」
飃はそういうけれど…。焦る気持ちは同じだ。眠れない夜を何とか二人で共有する日々は、固めたはずの覚悟を何度も突き崩そうとぶつかってきて、少なからず揺らぎを与える。四方から壁が迫ってくるような感覚を味わう毎日だ。最近は、インターネットの動画サイトやニュースに、得体の知れない黒いうごめきを捉えたものが数多く出回っている。UMA?特撮?悪戯?どれも的を射た意見とはいえない。一番近いのは、まあ、UMAかも。でも、UMAは人の魂を抜き取って、飴玉みたいに溶かして養分にするなんてことはしないし、日本の神族に対して並々ならぬ敵意を抱いたりしないはずだ。それに、あいかわらず続く、神社や仏閣の襲撃事件。そして連日連夜放送される行方不明者の情報提供を呼びかける特別編成のニュース。
壁は、刻一刻と狭まってきていた。
こんな時は、カジマヤの言葉を思い出すようにしている。実に簡潔で、彼らしい。
「ま、なるようにしかならねえよ。焦ってヤキモキしたって、状況が改善するわけじゃないだろ?こういうときに一番必要なのはさ、腹をくくるって事だよ、うん」
―腹をくくる。
そう、今、くくってる途中。多分、あと3分の2くらいは残ってるかも。
「うおーしっ!」
飃の背中で風を切るのは、とてもいい気分だ。八王子にある青嵐会の本拠地へ向かう旅は、空を行く旅だ。飃の低い笑い声が振動となって、彼の背中にぴったりくっつく私の腹をあたためた。お姫様抱っこでここまで運んでもらうのも考えたけれど、止めにした。7月にしてはやけに寒い日だった。分厚く黒い雲が重く空に留まり、不穏な雷鳴が途切れることもなく響いている。飃の身体の前面に居ると鼻水すら凍ってしまうのではないかと思えてしまうほど、今年の夏は寒い。
上空から見下ろす町並みは、夜を迎える準備を始めていた。青灰色の影の中に浮かび上がる幾つもの灯、その全てに、人の生活があるのだと思うと圧倒される。やがて、家々の連なる丘を過ぎると、何もない原っぱが目の前に広がった。なだらかな山陰が、遠くで静かに横たわっている。その原っぱに、飃がふわりと着地した。私は一瞬だけ飃の背中の温度を吸い込んでから、地面に足をつける。日中から上がらなかった気温は、日が沈んだ今余計に低く感じられる。