飃の啼く…第24章-19
「―この…っ!」
手を震わせているのがなんなのか、私にはわからなかった。恐怖かもしれない。悲しみ、怒り…いや、この奇妙な部屋に立ち込める澱みの瘴気のせいかもしれない。あなじに支配されそうになったときの感覚とは違う…もっと清浄な、もっと熱い怒りが、体中を駆け巡っていた。
「罵りたいだけ罵るがいい…しかし、この様な行いが無くば、青嵐会は立ち行かぬ…貴方は正義を背負い、慈悲の下に剣を振るう戦の申し子だ。それはいいだろう。しかし貴方がたの頼みの綱である神器もまた、我々暗部がもたらしたものであるということを忘れるな!」
冷ややかな目が射るように私を見た。
「気枯(けが)れはて、もはや昔のようなやり方で神器を得ること叶わぬ貴方がたに、神器を握らせたのは、他でもない!我ら青嵐会の研究があったればこそだ!その呪法を大成させるまでに、幾つの命が必要だったか知っているか?知るはずは無かろう!必要が無いのだから!日向に生く者は、明るいところだけを見ていればよいのだ!」
口調の激しさとは裏腹に、その瞳は依然氷のように冷たい。普段は物静かであろう彼が、臓物に溜まった怒りを吐き出す様には周りの部下たちも恐れをなした様だった。
その時、怯えきった誰かの声が聞こえた。
「大変だ…!実験体が!」
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焦っているのか、という問いに彼女は首を振った。
「足手まといになりたくないんだもん」
そう言って。
今日も世間を賑わせる、累々たる行方不明者の報道。それが彼女を追い詰めているのだ。慣れない剣を握り、燃え盛る目で挑みかかってくる彼女は美しい。剣など捨てさせ、家に閉じ込めて戦場になどつれてゆきたくなかった。それが叶わないのなら、櫛に姿を変えさせて、自分自身の髪に絡ませ、戦火が彼女の身を、心を焦がさぬように守ってやりたい。
しかし彼は、彼女が誰よりも戦いを望んでいることを知っていた。私怨からではなく、大儀などというものもないかもしれない。それでも彼女は、彼女のために、彼女に関わる世界のために、剣を振るう。
飃はさくらのにおいを辿りながら、ひたむきな汗を手に取るように想像できた。
彼女が、この廊下の先で見つけるであろう物は、彼女の瞳を輝かせるものでないということはわかっている。今までだってずっとそうだった。進めば進むほど、目にするのはよくないものばかり。彼女の眼は、幾度と無く悲しみに曇っては、その雲を晴らしてきた。彼女は、その雲を追い払う風を、飃(つむじかぜ)と呼ぶ。
空気が敵意を持ったかのように、不意に悪寒が駆け抜けた。
飃は、匂いを失わないように慎重に、速度を速めた。彼女のところへ行かなくては。何度でも何度でも、暗雲を追い払ってやるために。