「魚と彼と下半身」-3
「おい、恭子、どうした!?」
私もなぜ彼がここへきたのか、尋ねたいくらいだった。でも、このまま孤独と混乱の中で誰にも会えずに死んでいくのかもしれない、とか思っていたし、数時間前に悲惨な生き物の痴態を観察したときの記憶が脳にこびりついて一人でいるとそのウ゛ィジョンに全神経が強姦されそうだったので、彼がきてくれて、嬉しいような気がした。でもやはり、こんな自分の下半身が撒き散らした汚物を見られるのは嫌だった。とにかく、彼が来た、ということが、私の心をかなり動かしたようだ。まだ少し、彼に気があるのかもしれない。
付き合い始めて1年くらいは、順調だった。友達からもいいカップルだと見られていたし、二人の間でなにかトラブルになることもなかった。2年目へ入ると、二人とも一人暮らしなのでお互いの部屋にとまって、だらだらしていることが多くなった。ひどいときは、二人とも一週間大学へ行かず、シングルベッドに二つの裸体を横たえ、文字通り24時間べたべたしているようことが多くなった。二人とも生活だけでなく、性格も乱れ始め、身体だけは仲がいいものの、くだらないことで喧嘩するようになった。性格が乱れてくるにつれて、精神に異常の萌芽がみられ、二人ともの病んだ心の中では自己嫌悪感が増殖し、慰めが欲しくて相手の身体を求めてしまう。悪循環が続いていく。それでその地獄絵図のような肉体的共依存と乱れた自我同士の傷つけ合いという関係が数ヶ月続き、話し合った結果、別れるのがお互いのためだろう、ということになった。二人とも、相手のことを想っている面もあって、できれば生活を更正してもとの仲のいい二人に戻りたい、と思っていることは二人ともお互い知っていたのだけど、最後の一週間の間も大学をサボって淫らな生活ばかりしていてさすがに二人ともうんざりしていたので、こんな生活が続くのなら別れるしかない、精神病にもなりかねない、そういうことで意見は一致し、別れた。以来、二人とも誰とも付き合わず、別々に一人暮らしをして、お互いが会うことはなかった。
「だいじょうぶか?なにかあったのか?恭子、いたら返事して。」
数ヶ月ぶりくらいに聞いた彼の声は、私が別れた後も心の片隅では恋しい気持ちを忘れていなかったことを自覚させた。でも、私はもともと感傷に浸るのが好きでもないような冷たい性格だったし、今は、なにからなにまでがそんな感傷に浸っていられる状況ではない。過去の彼との関係がどうこうより、今起こっている荒唐無稽な現実をどうするべきかが問題。
彼は、スリッパをはいて、恐る恐る私の部屋の中へ入ってくる。私の昔の下半身が垂れ流した汚物を避けながら….。いくら彼と昔淫らな関係にあったからといって、半分自分のものでもある排泄物を見られるのは恥ずかしすぎるし屈辱にも近い。でも彼はその悪臭と悲惨な光景にもかかわらず、私になにか大変なことでも起こったのではないかと心配し、真剣な顔で探してくれている。水槽を見たらどんな反応するだろう。私は水槽の中にあった流木と水草の陰にかくれ、彼に姿を見せるべきか隠れておくべきか迷っていた。それにしても、彼の、こんな気違い染みた部屋の様子を気にも留めずに私のことを必死に心配してくれている、その姿を見ていると、感傷嫌いの私にも、過去の恋、今も少し残っている恋の想いが、胸に宿っているのを感じる。なんだか悲しくなってきて、とりあえず彼にこの姿を見せてしっかり説明しよう、そう思った瞬間…….彼は踏んではいけないもの、私にとっても踏まれては困る物体…を踏んでしまった…。さすがの彼も、一瞬顔色を変え、ぞっとしたように吐きそうな格好をする。一端玄関扉まで引き返し、スリッパを脱ぎ自分の靴に履き替えた。またこちらへやってくる。私は、水草の陰から、出て、目立つように泳いでみる。胸が露出しているので恥ずかしい気がしたが、部屋の床に比べたらまだ全然ましだ。
彼は私に気付いた。文字通り目が点になっていた。8秒、彼は静止する。そして足元を注意しながら、恐る恐るこっちへ近づいてきた。
「・・・・・・・・・。….え。」
「・・・・・・・・」
「…恭子?」
「。。。。。。」
答えようと思ったが、水中では声が出ないらしい。とりあえず頷いた。