エス-8
「…支払いは、遠藤先生がもってますから。エスの財布も貴方の財布も痛くなりませんよ」
加藤は思案する表情をしてからはっとした顔をした。
「遠藤っていうのは、もしかして、あの、政界の遠藤雅義ですか」
「えぇ、そうです。エスの力で伸し上がった内の一人ですよ」
木村はさらっと流すように言った。
これだけでも加藤にとっても大スクープに違いない。
咄嗟にメモを出そうと思った瞬間、エスがつぶやく。
「信じてもらえないよ」
加藤の動きが止まった。
また見られたのだ。
「………いや、だけど」
弁解をしようとした加藤にエスはメニューから顔を上げて首を左右に振った。
「潰されるよ、加藤さん。遠藤先生ならそれくらいやるから」
それは見たのではなく、事実なのだろう。
エスは真剣な表情をしていた。
加藤はポケットに伸びていた手をメニューに戻した。
二人のやりとりを見ていた木村は頃合いを見計らったように声を掛けた。
「ご注文はお決まりですか? 」
二人の腹が膨れる頃には雨は上がっていた。
ドアの外の傘を取り階段を上がって行くと眩しいとは言えないものの、光はビルの間から差し込んでいた。
「やあ、晴れたね」
エスは嬉しそうに言い傘の先を地面につけたまま少し振り水気を落とした。
それからベルトで纏めると加藤の方へと向き直る。
「加藤さんは今日どうするの?」
エスは決まってこの言葉を別れ際に聞いた。
最初知っているはずなのにと加藤は思った。
今でもその思いは変わっておらず、エスと会話を重ねれば重ねるほど、それは深まった。
それは加藤の中で苛立ちに変わっている。
自分は何も話さないくせに、自分ばかり知っている。
「なぜそんな事を聞くんだって言う顔、してる」
傘に残った水滴で歩道の乾いた部分に目と口を描きながらエスは言った。
スマイルとかニコちゃんマークとか呼ばれるあの顔に似せた顔を描きあげエスはもう一度言った。
「どうしてそんな事聞くんだって思ってるんでしょう」
エスが顔をあげる。
加藤はその落書きに目を一度だけ落としてからエスの目を見た。
エスは加藤と目が合うとすばやく目線をずらした。
加藤の事を思っての行為が後ろめたさを感じているように、加藤には思えた。