にわかあめ-4
「……や、めて」
拒絶したのは私。小さな声で呟いて、春風の腕から体を抜いた。目頭が熱くなってきて、鼻がツーンとした。彼の驚いた顔。目が開いて、私をじっと見てる。負けじと見返した。
「もう、やめて。辛いよ」
何が何だか分からないって顔の春風。下唇を噛んで言葉を捜す。上手く出てこない。出てこないよ。
「……春風の目の中に、私が、いないよ」
やっと出てきた言葉。抽象すぎる?そんなの関係ない。瞬きしたら涙がこぼれた。発作が出てる時に泣くなんて致命的なのに。
「落ち着いて。ね。発作ひどくなるから」
困ったようになだめる春風の声。まだ優しい。だから甘えてしまいそうになってその言葉と気持ちに対して首を振った。
「やだっ、ずるい、逃げないでよっ。いつも、ずるい。春風は肝心な事言わずに、私を繋ぎとめて。態度だってそう」
涙の量が多くなってしゃっくりも多くなる。呼吸が上手くいかなくて、咳がまた出てきた。春風の顔が強張る。私の言葉で?それとも、咳が出てるから?
「私の事好きなの?それも言ってくれない。ちゃんと、何度だって聞きたいのに、言ってくれない。いつも頭を撫でて抱きしめて。それだけ。子供じゃないのにっ。わ、私の中の、誰を見てるの?何て名前の人なの?その人の代わりなの?ねぇっ、答えて!」
言葉と感情が止まらなかった。雲の上のような人だったからこそ、不安だった。いつか天女のように帰ってしまうんじゃないかって。ホストのように遊んでいるだけなんじゃないかって。ただの代わりなんだろうって。
「春風のっ、目にはっ、私が、映ってないよ!」
大声で区切ってぶつける。涙が止まらなくて顔がぐしゃぐしゃ。すごくみっともない顔をしている。気管を信じられない程大きな音で風が出たり入ったりする。五月蝿い位に耳にその音が聞こえてきた。
春風の顔が怖くなった。唇をかみ締めて手が震えている。怖くて怖くてもう顔を見れなかった。俯いて大声をあげて泣く。咳と涙と泣き声とヒューヒュー言う音が混じっていた。春風は何も言わない。
「もう帰るぅ……」
このままじゃ春風を嫌いになってしまいそうで、私はよろけながら立ち上がり小さなテーブルにポケットから出した鍵を置いた。鼻を啜って春風の前をすこし躊躇いがちに通った時、彼は手を伸ばし私の腕を掴んだ。じっとりと汗ばんだ手だった。
「行くなよ」
立ち止まり首を振る。春風が顔を上げ捨てられる犬みたいに私を見た。それはあの日のあの目だった。初めて会った日の。それでも私は首を振った。春風の手を思い切り振り払って玄関に向かおうとした。けれど、春風の方が早かった。靴を履こうと足を伸ばしたまま、後ろから春風に抱きしめられる。
「行くな」
声が震えていた。もう一度失うのが怖いから?私はあの人じゃないんだよ。
「やめて」
春風の腕を解こうと手をかける。けれど、頑なにそれを拒んで、彼は私を抱きしめた。
「好きだよ」
そうして耳元で、今までで一番甘い声で言う。私は首を振った。涙は止まってなくて、しゃっくりが二回続けて出た。もう聞きたくなかった。なんと言われても代わりな気がした。
「好きだよ」
もう一度彼は言う。言葉が耳に響くほど涙が溢れてこぼれた。
「やめて、もう、やめて。春風を嫌いになりたくない」
掠れた声で途切れ途切れに言う。それでも私の声を消すように春風はまた言う。
「好き」
でも、もう、信じられない。だって私は人形じゃないから。こんなに私が好きなのに、答えてくれなかったら。
だから終わりにしようと、春風の腕の中で回って、彼の顔を見た。真正面から。泣きそうになっている目。瞳。潤んでいる。
「もう、いいよ。伝わったよ。あの人に伝わってるよ。だから」
もう辞めようって言おうとしてたのに、春風が言葉を遮って、
「りつ、好きだよ。りつが好きなんだ」
と言った。