はるかぜ-4
あの日から一年経った。私は高校を卒業し、進学する事もなく、波止場で海をみていた。卒業旅行に誘われても断った。あの日から私の性格はおとなしくなったらしい。この波止場で海を、ずっと、遠くの東京をみている。今日は随分と暖かい。
あの日、春風は言った。言葉は最初は本当に話せなかったと。原因となったのは付き合っていた女性の死で、それは事務所によってもたらされたと。私が毎日一緒にいてくれて、段々、心の傷が癒されたと。途中から話せたけれど、追い出されるのが怖くて言えなかった、と。それから一週間後、彼は、暁の格好をして東京に戻って行った。我が家には日常が戻った。朝食時にはテレビを見るようになったし、仏間は誰もいないままひんやりとしていた。程なくして彼の姿はテレビの画面で見れるようになった。歌番組、トーク番組、CM……。引っ張りだこの彼。『春風』と同じ姿をした、違う人。私はテレビも雑誌もCDショップも嫌いになった。
「りつ」
姉が背後から私を呼んだ。振り向くと近づいてくる。姉は仕事が忙しく以前より顔を合わせなくなっている。今日も三日ぶりに会った。最近の私は色んな事に興味が無い。
「お姉ちゃん」
風がふわりと吹いた。伸びた髪を片手で押さえて掻き揚げる。姉が来る前に私はまた海の方を向く。
「母さんがりつはここだって言うから」
横に立ち伸びをして姉は言う。白いスーツは少しくたびれた感じがしている。
「ん。海が見えるから」
両手をパーカーのポケットに入れた。春風のパーカー。
「今日は暖かいね。春一番が吹いたんだって」
姉は私の肩に手を回した。姉の手は女にしては力強く大きい。
「……ふーん」
私は曖昧に返事をして、目を伏せる。他人の口から春っていう言葉を聞くのは苦手になった。姉は自分を軸に私の肩に手を回したまま大きく回る。帰ろうって合図だなって大人しく従うと、目の前にスーツを着た男性が立っていた。姉は私の肩から手を離す。ぼんやりとしたまま顔を上げる。黒いスーツ。糊が利いていて、高級そうで、足が長くて、手が……、大きくて細くて。目の前の人のお腹まで順に見て、あっ、と声を上げて顔を見た。
「春……か……ぜ」
言い終わらないうちに彼の腕が私を抱きしめる。力いっぱい。彼の胸に顔が埋まる。一年ぶりでも覚えてる、彼の匂い。ネクタイの柄が滲んで見える。
「ただいま」
彼は私の耳元に口を近づけて小さく呟いた。涙がスーツに吸い込まれていく。彼の背に初めて手を回して、しばらくそうして抱き合った。時間を埋めるように強く。私の心が一気に春になる。冷たい氷の幕が溶けていくように。
「ただいま」
しゃっくりをしはじめた私に春風はまたそう呟いた。私そうしていたように。だから、次の言葉は私から言った。
「ずっとここにいてくれる? 私の側にいてくれる?」
春風はゆっくり頷いた。私の肩に触れる顔が上下に動いた。
「ずっと側に居るよ。もう『暁』じゃないから」
次の日、「Rain Empty」の無期限の休止宣言が出された。