彼な私-12
七
「タケ子君、キスして…」
ほろ酔いの杏が私に覆い被さり、唇をゆっくり近づけてくる。
―あっ杏!?だめよっ私はオオカミだったのっだめよ!!
「タケ子君早く…早くキスして…」
―杏!!杏!!だめっ、だめなのっオオカミだからっオオカミなのよー!!
「タケ子君〜…キス…キス…」
―だーめー!!
「…昨日の夜はしようとしたくせにっ、ぐあああぁぁぁー!!」
突然、杏の中からオオカミが出てきた。
「キャーーーー!!」
飛び起きた私の背中に汗が流れ落ちた。
―夢…?
「おはようっても昼だけどな」
尚がお茶の入ったコップを私の前に置いた。
「あ…りがと…」
見渡すと、部屋はきれいさっぱり片づいていて杏も奈美もいない。
「杏なら帰ったけど?」
「ーっ、なっ、何も言ってないじゃない!!」
「だって〜お前〜昨日〜」
‘キスして…’
夢の中の杏と昨日見た杏の寝顔が頭に浮かぶ。
―キャッ!!
「いっ、言わないでっそれ以上!!」
「え〜…酔った勢いで〜杏に〜キッ…」
「ギャーーーー!!」
私、たまらず尚の家を飛び出した。
外は雨が降っていたが、私はそのことにも気づかずただひたすら走った。頭の中の杏を必死に振り払いながら…
尚の家を飛び出した私、どれくらい走ったか…ようやく雨が降ってることに気がついた。
―雨…降ってたんだ…
私、目の前にあるコンビニへ駆け込んだ。
―あ…
「いらっしゃい…ま…せ…」
そして気づいた。ここは春樹のバイト先だった…
―…うっ…と、とりあえず、傘買わなきゃ…
「…タケ子…俺、もうあがりだし、傘もってるから…送るよ…」
春樹、ビニール傘に手をのばした私にそう言った。
そんなに優しく言われて、断れるわけがない。私、小さく頷いた。しかし、そうだ。よく考えたら分かることで、春樹が傘を持ってるって言っても一本で、だから…その…一本に二人入るっていうことは…
―…こっこれって…相合い…きゃー!!み、皆まで言うな!!
「タケ子、もうちょっとこっち来ないと塗れるだろ」
「え?…あ、あそうね、うん…」
私、春樹が広げた傘に身を縮めながら入った。
「…何で制服?」
春樹、私の顔を覗き込む。
「え?」
「あ…ごめん…」
「…尚の家に泊まったの昨日…」
「え!?尚の家に!?」
「あっ、いや、いたの、いたの夢子も奈美もあ、杏も…」
ドキンー
杏の笑顔が頭をよぎる。
「そっか…仲いいんだな…」
「え!?いやっ、私と杏はそんなんじゃないよ!!」
「…は…いや…尚達と…」
「あっ、あ、ひさっ、尚!!そう、そうそう、尚ね、そう!!尚にはお世話になりっぱなしで…」
「…そうか…」
「うん…」
―…春樹には…杏のこと知られたくない…杏にも春樹とのこと知られたくない…なんて、わがままだよね…
その後の沈黙は本当に痛かった。何で傘を買わなかったのか、何度も何度も後悔して、だけど…やっぱり春樹の隣は心地良い…
黙々と歩く中、たまに春樹の腕と私の肩がぶつかって、私の鼓動がその度に早くなっていく。
「…タケ子…ごめんな…」
もうすぐ家に着いてしまう。そんな時、突然春樹が言った。
「え?…」
驚いて私の足が止まる。
「…ちゃんと謝ってなかったから…」
春樹、目を合わせない…
―春樹…
「や、や〜だぁ〜…気にしないでよ、もうあんなの慣れっこだしぃ〜」
こんな私のせいで、もう春樹に辛い思いをしてほしくなかった。
あれからずっと一人でいる春樹…私は、そう、私はもう慣れっこだから…
「そんな風に言うなよ。慣れるなよ。あんなことにっ…」
―え…
春樹が持っていたはずの傘が宙に舞う。
私は、春樹にすごい力で抱きしめられていた。
「はる…き…」
春樹の鼓動が聞こえる。そして春樹の熱い息が顔にかかり、唇が…重なった…
春樹の鼓動…力強い腕…熱い体…熱い、熱い唇…私はゆっくり目を閉じる。
長かったのか、一瞬だったのか…熱い春樹の唇がゆっくり離れ、力強い腕が緩められ、春樹の体が離れていく…
きゅー…ん
「…ごめ……」
春樹、つぶやくようにそう言いながら私の手に傘を握らせた。
春樹の背中が涙でぼやける…
何をどう考えていいのか分からない。嬉しいのか悲しいのか…春樹の熱さが胸に残って、また涙が流れ落ちた。