《The pretty devil》-3
俺も煙草を消して寝転んだ。蒼穹は高く、暗い宇宙の闇からこの世界を守るように、青々と澄み渡っていた。俺たちは並んだまま、束の間の安眠に溶け込んでいった…。
結局、俺たちは二時間余りまどろみを楽しみ、教室に戻ったのは、倫理と体育の授業が終わった後の、三時間目の休み時間だった。屋上から戻ると、二人は素知らぬ顔だ。元々付き合ってる訳ではないが、一応は気を使っているのだ。俺と奴は、対極的な意味では在るが有名人だ。噂に成るのはできれば避けたい。
俺は自分の席に戻り、再び惰性的な眠りに身を沈めようとする。
すると、教室の女子が騒ぎ始めた。特に興味はなかったので、俺は瞼を閉じようとしたが、『紀子さん』と言う名前が出ると、俺は反射的に注意を向け、彼女たちの会話に耳朶を澄ませた。
「ねぇねぇ、どうしたの?」
「それがさ、体育の時間中、紀子さん、保健室に行ってたでしょ?」
「その間にさ、紀子さんの体操着が盗まれたらしいよ」
「ええっ〜!?可愛そう」
成程。美人税という奴だな。変態のターゲットに成り易いのは。しかし、奴等、可愛そうと言っておきながら、その目には嘲弄の色が垣い間見える。(ザマアミロ)と、心の中で罵倒している様子が手に取るように分かった。薄汚い連中だ。
見ると、新井は傷付いた風を装い、今にも泣き出しそうな横顔だ。その切なげな顔を見た男子は、心此処に在らず。悲劇的な美少女の憂いに平静を忘れていた。
そしてついに、新井は声を潜めて泣き出した。白く、繊細な頬を、冷たい涙がひっそりと溢れて伝う。それが迷える男子たちの心を現世へと呼ぶ醒まし、ある一つの行動基準を示唆する。つまり―。
『犯人を見付だし、ブッ殺せ!!』
魔女に魅了された男たちは、策略と欲望と憐憫の混雑した声を上げる。
「おいっ!体育の時間にサボッてた奴を調べろ!」
「隣の教室の奴等にも訊いてくるぜ!授業中、不審な奴が廊下をうろついていなかったかどうかをな!」
「クソッ!紀子さんの体操着を盗むとは、何て羨ましい―いや、おこがましい野郎だ!」
「畜生、マドンナの体操着を盗むだと!?その手が在ったか…」
「紀子さん、大丈夫ですからね!必ず犯人を捕らえて血祭りにして殺りますから!」
教室中の女子は呆然としていた。世紀の美少女が流す涙に、これ程の威力が在るとは思わなかったのだろう。俺も同感である。
新井は両手で顔を隠し、恥辱に打ち震えているようだ。しかし、実際の所はほくそ笑んでいるに違いない。
『馬鹿な男共め…』
俺にはそんな心の声が聞こえてきた。
まぁ、こんな時、男の結束力というのは尋常じゃない。犯人の姿が明るみに出るのも時間の問題だろう。犯人が発覚したあかつきには、新井がそいつをどう料理するのか、見物だな。
俺が傍観者に徹しようと思った矢先、不審な行動を取る男が視界に入る。そいつは、一時間目が終り、教室を出ようとする俺を引き留めた新井に、ナイトを気取って賛同したあの雑魚キャラだ。あの時、奴は新井の為に俺に向かって反骨精神を見せたと言うのに、何故か今は、血気盛んな男子の群れに加わろうとはせず、モジモジと落ち着かない様子で座っている。
俺が疑惑を込めた視線を送っていると、奴と目が合った。俺は不敵な笑みに口の端を歪める。できる限り、凶悪で尊大な嘲笑を作ってみたのだ。
案の定。奴は顔面を蒼白にし、打たれたように席を立ち、教室から退却して行った。
「おい。さっき其所の席に居た、貧弱そうなチビは体育に出てたか?」
俺は手近に居た男子に訪ねた。そいつは始め、俺に声をかけられてビビりが入っていた。しかし、俺が捜査に協力しようとしているのだと気付くと、水を得た魚の如く嬉々とした。自分で言うのも何だが、俺が力に成れば、向かう所敵なしだからな(喧嘩だけの話しだか)。
「秋山っすか?アイツ、いつも体育は見学してるんで、良く分からないっすね。第一存在感ないんで。それに、あんな野郎に紀子さんの体操着を盗むなんて度胸、絶対ないっすよ!」
「そうか」
確証はなしか。まぁ、本人に当たってみれば良い事だ。
「でも、氷室さん。意外ですね。他人の事には興味なさそうなのに…」
「別に。単なる余興さ…」
新井に貸しを作ってやるのも悪くない。そう思い付いただけだった。特に深い意味はない。
俺は立ち上がり、ざわめきを後に教室を出た。