和州記 -或ル夏ノ騒動--1
この頃の陽気と言ったら、全く蒸し暑くて仕方がない。
汗を拭えど着物は肌に張り付き、気持ちが悪いといったらなかった。
そんな中での野宿など、堪ったものではない。
和州を旅している一紺と竜胆の二人は、山道の中程で足を休めていた。
昨晩、蚊や蚋がうようよしている中で野宿していた二人。
耳元があまりにやかましいので、何とか今日は宿で眠りたいと、都へ急いでいた。
しかし、あまりに急いだものだから酷く足が疲れてしまい――こうして木陰でへたり込んでいると言うわけである。
ひんやりとした草むらに仰向けになっていた一紺は、急に腕にちくりとした痛みを感じ、声を上げた。
「あ痛ッ」
「どうした?」
一紺の傍らに立っていた竜胆は、驚いて彼の傍らに屈み込む。
「げ、蛇や」
一紺は変わった訛りでもって言うと、その口元を歪めた。
彼の腕には、蛇らしき牙の痕が残されていた。手首に近いところに浮かんだ、小さな赤い二つの点。
そこから赤い線が伝った。
「あいつか」
かさかさと草むらが動く。この時期、草むらにはやたら蛇やら何やらがいるものだ。
じっと目を凝らして草むらを見据える。その中に小さな蛇の姿を見た竜胆は、彼女の得物である小太刀をそれに向かって投げた。
放たれた小太刀は、頭を外したものの蛇の胴を貫いて地面に刺さる。
串刺しとなった蛇は苦しげにのた打ち回った後、くたりと静かになった。
鮮やかな手練。このようなことには慣れているといったふうであった。
「見せてみろ」
竜胆は小太刀はそのままに一紺の腕を掴む。
痛みは殆どないが、流れ出す血に一紺が顔を顰めた。
彼女は自分の髪を纏めていた紐を外し、これも慣れた手つきで一紺の二の腕をきつく縛った。
そして傷口に口を付けると、強く吸う。
あの蛇が毒を持っているのかどうかは分からないが、念のためだ。
ぢゅう、と言う音に一紺が照れ臭いような困ったような表情を浮かべる。
「なんか、やらしいなぁ」
竜胆は軽口を叩く一紺をきっと睨み付け、一旦口に含んだ血と唾を吐き出した。
そしてまた吸い付く。
口の周りを赤く染めた竜胆が、自分の腕に吸い付いている様子は何とも淫靡だ。
なされるがままになっていた一紺の下半身が少しだけ反応する。
暑さのせいか?
熱に浮かされているのか?
最近はどうも、一日二日彼女を抱かないだけでも身体が疼く。
だからだろうか、唐突にとんでもない言葉が口をついた。
「な、竜胆」
「ん?」
「…せえへん?」
言った自分にも驚いたが、何より驚いたのは竜胆の方だ。
ぐ、と思わず息を飲む。
げほげほと咽せた後、彼女は頬を紅潮させながら、一紺の腕をぴしゃりと叩いた。
「ば、馬鹿!真昼間から何言ってるんだ!」
「わ、悪い…思わず」
慌てて一紺も言う。抱きたいというのは本心なのだが、思わず言った言葉に彼自身驚いていたからだ。
また素直に引いたのは、竜胆がしたくないと言うのをはっきり知っていたせいもある。
暑いからか、此処最近歩き詰めで疲れているからか、昨日も誘ったのだが乗って来なかった。
まあ、あれだけ激しく身体を重ねれば疲れるに決まっている。
一紺もぐったりした彼女の姿を見ているからこそ、無理強いはしない。