夏色の宿題A-2
「最近あなた、ジョークにキレがないわね。不調の原因は何?」
不調の原因?君以外に何が在る。あの日、宿題の答えを、例の如く太陽のような微笑み混じりで述べた百合。恥ずかしさと嬉しさの間で、シニカル(自称)な自分を見失った僕。その後の僕等はさながら、磁石と磁石の狭間を遮る分厚い紙。それが消え去り、より強い磁力で結ばれるように、目には見えない絆でつながった。そして僕は一時、軽いジョークがままならない程に高揚した。世界が光で満ち溢れているような気さえした。恋は盲目という言葉、今なら良く理解できる。ジョーク押収戦の敗因は、その後遺症だろう。想いが強すぎる余り、頭の片隅で百合の言葉の一つ一つを本気で受け止めた結果、混乱するのだ。きっと、本気で誰かに惚れた男は皆こうなるのだ。…多分。
「僕が不調なんじゃなくて、君が好調なんだよ」
僕は言った。間接的に想いを確認し合ったとは言え、未だ素直になる事に対し、照れがある。好きなら好きとはっきり言えばいいが、そんなませた言動は、柄じゃない。
「確かに、最近は結構好調かも。何せ、あつ〜い想いが通じたからね。想い人をがっかりさせたくないし、張り切ってるのかな?私」
燦々と照り付ける陽光に目を細め、指先で麦わら帽子をくるくると回す癖を披露しながら、百合は言った。僕よりストレートな表現が、少し、気恥ずかしい。
「ねぇ、私、あなたの期待に答えてる?」
百合は帽子を回す手を止め、僕を見た。つぶらな瞳の中、セピア色の黒目部分が、仔猫のように僕のそれを覗き込む。
「期待に答える?そんな努力、する必要なんかないよ。こうやって一緒に海辺に座って、綺麗な海を二人で眺めている。すでに理想的な状況だよ」
僕は、少しだけ素直になれた気がした。
「むしろ、期待に答えなきゃならないのは、僕の方だ。君をどこかに遊びに連れて行く訳でもないし、僕が勝手に他愛のない話しで満足しているだけで…考えてみれば、僕は君の為に何一つ気の効いた事はしていない…」
目を合わせる事が気不味くなり、さりげなく視線を空へと向けた。気流に乗り、当てもなく漂う雲がむなしく見える。
延々と広がる蒼穹を、道しるべもなく、ただ緩慢に泳ぎ続ける。それは限りなく正確に、僕の心情を移し出していた。気分一つで、随分と空の色が違って見える事に、僕は気付く。
「百合、君はこれから、どうして行きたい?その…僕等二人の歩き方、って言うかさ」
僕は彼女の意見を尊重しようと思った。俗に言う、友達以上恋人未満の関係でいたいなら、それでもいい。恋人同士のように、肩を奇せ合い街を歩きたいなら、そうしようと思う。百合が側に居てくれるなら、形なんて何だって良かった。
僕はその時、どんな顔をしていたのだろう。視線を青空から波打ち際へと移し、少しだけうなだれた。その視界に、唐突に影が降りる。百合が麦わら帽子を僕に被せたのだ。僕は横を見る。不思議そうに小首をかしげた百合が、僕を見つめていた。
「歩き方なんて、考える必要はないんじゃない?考えて、答えを出して、見切りをつけて、それで終り?」
僕は彼女の言おうとしている事が良く分からず、呆けたように百合を見つめる。
百合は微笑み、言った。
「これから私たちがどんな風に歩こうか、決めつける必要なんて、きっと何処にもないのよ。歩き方を決めたらね、決められた道しか歩けなくなって、その行く先も決まっちゃうと思うの。別に、それが悪いって言う訳じゃなくてね。なんて言うか…きっと私たちは、お互いが道しるべなのよ」
「僕等が、互いに道しるべ?」
「そう。道しるべ。引き合うのよ。考えて歩くんじゃなくて、私があなたを見て、あなたが私を見て、そこに記されているものを見て、歩くの。私がこうしたいから、あなたもそうする。そんな一方通行じゃなくて、二人が互いの道しるべを見れば、自然と同じように歩けると思うの」
百合が僕に伝えたい事、何となくだが、分かる気がする。けど、理解するだけで、簡単に行動に移せる筈もなく、百合の言葉は、僕の中でむなしく空回りしていた。
「僕は、どうすれば君の道しるべが見えるのかな」
百合の瞳を覗く。そこに、その反映を探してみた。百合は少し考えるように眉根を奇せ、やがて、その想いの発露を紡ぎ出す。
「ありふれた言い方だけど、私たちがもっとお互いの事を良く知り合えば…見えるようになると思う。きっと時間が必要なのよ。いくら私たちが想い合っても、すぐには無理なんじゃないかな…。じゃなきゃ、この世に想いの行き違いなんてない筈でしょ?…でもね、私の道しるべを見れるのは、他の誰でもない、あなただけよ?そうじゃなきゃ嫌。道しるべが多すぎると、逆に混乱して、迷う事だってある。だから、私の事をずっと見ていて…。悩んだり、焦ったりする必要はないわ。私だけを見ていてくれれば、きっとあなたには見える筈だから。もちろん、私もそうするから。ね?」