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夏色の宿題
【少年/少女 恋愛小説】

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夏色の宿題A-3

百合は、僕を励ますように明るく微笑んだ。僕は、強くうなずいた。正直な所、心のわだかまりが全て払拭された訳ではない。それでも、百合の言葉を信じてみようと思った。信じるべきものなんて、百合以外には考えられなかった。
「…分かった。いつも、君だけを見ている。時間をかけて、君を見て、いつか君を導けるように…」
「そしてあなたを導くのも、私ね」
百合は僕の頭から帽子を取り、また目深に被った。目元まで深く被ったのは、きっと照れ隠しだろう。
それを裏付けるように、百合は、はにかんだ笑顔を浮かべ、僕から恥ずかしそう目を反らした。視線は海の彼方に向けられていたが、口許は緩みっぱなしだ。そんな百合の照れ臭そうな横顔を、僕は微笑ましく想いながら見つめる。…ありがとう、百合。僕は心の内で呟く。次第に胸の中のわだかまりは、この無窮の青空のように晴れ渡っていった。それは変化と言うより、喪失を思わせた。例えば、恋愛に対する虚栄心とか言うものだ。百合は僕の視線に気付くと、暇潰しを装って砂遊びを始めた。多分、それも照れ隠しだ。そのしぐさが可愛らしくて、
「台詩がくさいのは僕だけじゃなかったみたいだね」
と、僕は彼女をからかってみる。
「私も女優になれるかもね」
百合はそう言うと、気まずそうに笑ってみせた。…本当に、不思議な子だと思う。人を嘲る事を知らない無垢な瞳。その瞳に覗かれると、不意に優しい想いが込み上げてくる。彼女の紡ぐ言葉の一つ一つは、深くこの胸に浸透し、いつも僕を慰め、そっと癒してくれる。時にはユーモラスに、時にはシニカルに、またある時は聖母のように…。勿論、彼女だって人の子だ。僕の知らない裏の顔を持っていたとしても、なんら不思議はない。
けれど、百合のそんな凡庸な特質を知ったとしても、僕の気持は変わりはしないだろう。そう。それは凡庸な事だ。人は誰でも腹の底に黒いものを秘めている。それを、多くの人は隠して、あるいは気が付かずに生きている。それが分からない程子供ではない。僕の中にだって、闇は存在している。…きっと百合の中にも…。例えその存在を否定できなくても、それが百合の一部なら、僕は、迷わず受け入れる。彼女は言った。私だけを見てと。多分その言葉には、そう言った意味合いも含まれているのだと思う。時間をかけて、お互いの、心の深淵を感じる事。いつの日か二人が、闇を照らす道しるべになれるように…。必ずなるよ。百合。
「…随分と時間のかかる宿題だけどね…」
穏やかな風音に、呟きを乗せた。
「え?何か言った?」
「別に、何でもないよ」
僕は思わず笑った。
「僕等が互いの道しるべになる。その宿題の提出者は、君であり、僕でもある」
「そして、答案者もね。…でも、提出者もその答えが分からないなんて、なんだかヘンな感じだね」
彼女はおかしそうに口元を緩ませた。
「だから宿題なんだろ?今すぐには答えが見付からないから、二人でじっくり解く必要がある」
と僕は答えた。
「そうね。でもさぁ…答え合わせはどうするの?」
ふと不思議に思ったように、百合が言った。言い出しっぺは自分の癖に。
「…そうだな。僕等が大人になっても、何処かでこうやって仲良く海を眺めていられたら、その時、提出した宿題の答えが正しかったんだって、思えるんじゃないかな。まぁ、気の遠くなる話しだけどね」
僕がそう言うと、百合はまじまじと僕の顔を覗き込む。いつもの癖だが、何故か少し嬉しそうだった。
「なんか、だんだんいつものあなたに戻ってきたわね。何ていうか、ませてる感じ。さっきまでは不安そうな顔つきだったのに」
百合が僕の頬に手を触れて言った。
「君のおかげだよ」
僕はその手を取り、つないだ。
「百合の花はあなたを悼むためものでしょ?」
僕の手をきゅっと握り、百合が言う。
「今思えば、それは、ちょっと違うかな…」
百合が首をかしげた。
「どうして?」
「僕は死者じゃなくて、此処に居る。だから、悼む必要はない。もし君が居なくなったら、僕には哀悼が要るのかもしれない。けど、僕の側にはこうして、百合が居てくれる。だから、ちっとも悲しくなんかないし、哀れむ事もない。僕は君を手向けの花として慈しむんじゃなくて…」
僕は思わず言い澱んだ。想いを素直に伝えるのは、僕の柄じゃない。今までそう思っていたからだ。けど、それじゃ駄目だと気付く。ありのままを見せなきゃ、ありのままの百合を見る資格はない。それに、百合はストレートに想いを伝えてくれたじゃないか。僕も彼女の気持に素直に答えなきゃ、フェアじゃない。…僕等が互いに道しるべで在る為に…。
「…そう、手向けの花としてじゃなくて…導き合う大切な人として…」
一拍の間を置いた。いつも言えなかった言葉、今伝えなきゃ、いつ伝えるんだ。
「愛してる。それだけでいい」
百合の小さな手、その温もりを確かめるように、強く握る。


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