飃の啼く…第21章(後編)-6
「わらわはこの身を持って毒薬に姿を変えるつもりでおる。」
「毒薬…?玉藻様、なりません!」
九尾の御前にかしずいた南風が、すがるように口にした。それを見て、九尾は残っているほうの顔で優しく微笑んだ。
「もう後戻りは出来ぬのです。優しい南風。わらわの体は、死して毒気を発する石となる…わらわはそれを、来る澱みとの戦に用いて欲しいのです。」
「そんな…そのような…。」
言葉が見つからない南風の頬を、絶望の涙が流れた。
「わらわの命はもう永くはありませぬ…人間の信仰が途絶えて久しいこの身、こうして役に立てるならば…」
「信じねぇぞ。」
頑なな声で、青嵐が言った。体中を襲う痛みが、正気を奪おうとでも言うように容赦なく彼を攻撃していたけれど、青嵐はそれに屈することはしなかった。
「千尋の時を、わらわへの憎しみと共に生きてきたそなたらには、申し訳なく思う…ですが…」
「何故なんだ!!」
絞るように声を張り上げた青嵐は、その顔を苦痛にゆがめた。その表情を作らせたのが痛みだけではないことを、南風は感じ取った。
彼は迷っているのだ。
「お前は虫けらのように狗族を殺し、人間を殺し、帝をたぶらかして国をも殺そうとした!そのお前が、この国を、狗族を救おうだと!!」
青嵐の言葉を受けて、彼女の表情に浮かんだものは、紛れも無い悲しみだった。
「わらわと契ることが、あのお方のお命を縮めるであろうということは…知っていました。」
静かに言った。
「最初に、帝をたぶらかし、この国の転覆を図って遊んでやろうと思っていたことも認めます。美しくなるために、沢山の血を嬉々として浴びたことも、言い逃れなどできようはずも無い…。」
そして、伏していた目を、何も無い冷たい岩壁に向け、そして微笑んだ。まるでそこから、清らかなる鳥のさえずりが聞こえたのだとでも言うように。
「くだらない世の中だと思っていたのです。わらわは…こんな国など、滅ぼしてやればよい、と。それでも…」
青嵐を見上げた九尾の目を、すっと、一筋の涙がこぼれた。
「それでも…あのお方のせいで、好いてしまったのですよ…こんな世が、あのお方と共に生きたこんな世が…どうしようもなく、愛おしく思えてしまったのです。あの穢れたちは、狗族を滅ぼした後に、必ずや他のもの達に牙を向くでしょう…ですから…」
青嵐は、全てが消えていた事に気付かなかった。叫びのような甲高い耳鳴りも、全身と包んでいた激痛も。
「そなたたちが間に合ってよかった…わらわがまだ言葉をつむげるうちに…」
今、九尾の狐という女を形作っていた織り糸が解け、胸の左半分だけが、奇妙に空中に浮かんでいた。その姿に耐えられなくなっていた南風は、顔を伏せて静かにむせび泣いていた。