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『彼方から……』
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『彼方から……』-17

「……克樹……」

扉に手を掛けて立ち止まると俺に背を向けたまま美宇は呟いた。

「なんだ?」
「あたし、もう振り向かないから……このまま前を向いて歩くから……」
「ああ、それでいい。」
「でもね、さよならなんて言いたくないの。だから、元気でね克樹……」
「へへっ、死人に元気でねってのも変だけど、それもいいさ。いつか……またな美宇。」

扉の向こうに消える背中が震えていた。

さよならだ美宇……

次第に足音が遠ざかり、やがて何も聞こえなくなると俺の身体は崩れる様に床に横たわった。

もう力が入らない。

「またな……か。へへっ、最期の嘘にしちゃ上出来だ。」

俺は地獄行き『またな』は無ぇんだ。悪ぃな……

そして俺は静かに目を閉じた。


(いつか……またな美宇)

ログハウスの扉を閉めたあたしの耳に克樹の言葉が木霊する。最期についたあなたの優しい嘘。でも、そんな言い方残酷だよ。

涙で目の前が霞む。だけどあたしは前だけを見つめて歩くんだ。それが克樹との約束だから……

『無茶を……言うなよ。俺はもう……死んでる…んだぜ?』

茶化す様に克樹は言ったけど、震えた声と作った笑顔があたしには泣き顔に見えた。

ごめんね、困らせちゃって。克樹だってツライ筈なのに……

だから頑張る。それが克樹の望むコトならあたしに出来るコトを精一杯頑張るから。

前を見つめて……


駐車場に着いたあたしは克樹の車に乗った。一緒に居た時は決して座るコトの無かった運転席。ハンドルに手を添えてあたしは前を見つめる。そのままのシートの位置ではハンドルは遠く、ペダルにあたしの足は届かない。克樹の居た証がまだここには残っていた……

「…うっ…くっ…うっ、うっ……」

堪えても堪えても、口から声が漏れてしまう。

「克樹……ごめっ…んね。少しだけ……許して…」

克樹はすべてわかった上であたしの前に現れた。一時の再会、そしてすぐ後に永遠の別れが来るコトを知りながら……

でもあたしはそんな簡単に割り切れないよ。だから今だけ、少しの間だけ泣いてもいいよね。

静かな車内にあたしの鳴咽だけが響いていた……


ふと気付けば、辺りは夕闇に包まれていた。湖畔の向こうに沈んで行く夕日は新たな涙を誘う。けれどあたしは乱暴に目許を拭うとシートを自分の身体に合わせた。

泣き続けて克樹が戻るなら、あたしはいつまでだって泣くだろう。だけど克樹は戻らない……あたしに想いを託して逝ったんだ。

諦めずにあたしに想いを届けてくれた。だからあたしも応えなくちゃならない。それが克樹の願いなら……

「あたし頑張るよ。だから時々でいいから見守ってね。」

静かにエンジンを掛けるとあたしはゆっくり車を走らせ始めた。


道路脇の街灯が規則正しく目の前に現れては後方へと流れて行く。あたしの向かう先は克樹の家、車を返したらそれで全部終わるんだ。

「あの……夜分遅くにすみません。柚木と申しますが克樹さんの車を……」

車で乗り付けたあたしを玄関先で出迎えた克樹のお母さんはあたしがそう言うと背後を見渡した。

「美宇ちゃん……只野さんは一緒じゃないの?」
「只野…さん?……!!!それって……」

おばさまは淋しげな笑みで静かに頷く。その名前が克樹の仮染めの名前だと、その時あたしは気付いた。

「……ごめんなさい。あたし一人だけです……」

おばさまは静かに頷いて、扉を大きく開けるとあたしに中に入る様に促す。

「そう……さぁ、上がってちょうだい。」
「いえ、カギをお渡しする為に寄っただけですからこのまま失礼します。」
「あの子に頼まれてるの、あなたの事……」
「え?」
「詳しい話は後にしましょう。とにかく上がって。」

半信半疑ながらもおばさまに言われるままにあたしは家の中に入る。

「お風呂が用意してあるから入って。着替えは出しておくから。」

手回しよく用意してあるお風呂……おばさまは克樹に頼まれたと言っていた。

言われるままに入浴を終えたあたしが居間のテーブルに座るとおばさまはしばらくあたしを見つめた後に深い溜息を付く。

「本当に無事でよかったわ。美宇ちゃん、こんな馬鹿な事は二度としないって約束してちょうだい。」
「はい、もうしません。克樹さんとも約束しましたから。」
「あの子と?……そう、約束したの……」
「おばさま、聞いていいですか?頼まれたって……」
「克樹はね、最期まであなたの事を心配していたの。今日、あの子から電話があったのよ。美宇を見つけた、だから心配しないでくれって。」

おばさまは声を詰まらせながら、話してくれた。克樹の最期の言葉を……


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