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『彼方から……』
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『彼方から……』-16

「う、嘘よ。信じないわ、あなたは克樹じゃない!!克樹がここにいる筈ない、だって克樹は…!!」

そこまで言いかけて美宇は慌てて口を塞いだ。それを見ながら俺は肩を竦めて小さく笑う。

「言ってくれるぜ。どっかの誰かさんが馬鹿な勘違いするから、ムリヤリ条件付きで戻ってきたんだ……。だけど俺の身体はもう無いしな。もっとも、あったところで死んだ人間がうろつく訳にもいかないし、まぁこれは仮染めの身体って奴さ。」
「それじゃ……本当に……克樹…なのね?」
「せっかく根性出して戻ってきたんだぜ?お帰りなさいぐらい言ってみろよ美宇。」
「か…つき……克樹……克樹ぃ!!…あたしが……あたしのせいで!…ごめんなさい!ごめんなさい克樹!」

駆け寄って俺の胸に飛び込むと美宇は大きな声で泣き始めた。そっとその頭に手を添えて俺は優しく撫でる。

「何も言わなくていい。お前が無事でよかった……。美宇のせいじゃない、あれは事故だったんだ。お前を助けられたし恨んでなんかいないんだ美宇。」

次第に激しくなる息苦しさに俺の息遣いは荒くなっていく。

「美宇、もう俺には時間が無い。だから聞いてくれ。大切な人を失うコトがどれだけ辛いのか今更言わなくたってわかる筈だ。自分の親にそんな思いをさせたいのか?そんなコトさせる為にお前を助けた訳じゃない、わかるよな?」

美宇は必死に鳴咽を堪えて何度も何度も頷く。素直に頷く美宇を見て俺はやっと最期の仕事が終わったんだと思った。そして、別れの時が来た事も……

「これで、安心して逝けるな。最期まで俺をハラハラさせやがって、身体張って助けた意味が無くなるかと思ったぞ?」

ビクンと体を震わせて、美宇は俺を見上げる。

「最…期?克樹、まさか……」
「ああ、もうお別れだ美宇。俺の目的は果たされたからな……」
「い、嫌よ!!克樹、どこにも行かないで!あたしをまた一人ぼっちにするの?」
「一人じゃないさ。両親だっているし、会社の同僚だっている。なによりコイツがいるだろ?」

俺の膝の上で満足げに丸まって寝ているポチを指差して、俺は言った。

「違う!!克樹がいないとダメなの!……あたし一人じゃ歩けないよ。克樹がいないとあたし……」
「美宇、生きろ。辛いだろうけど生きるんだ。約束したよな、コイツの面倒を最後までみるって。だから生きてくれ……。それが俺の……渡瀬克樹の最期のお願いだ……」

俺は荒くなる呼吸を堪えて美宇を見つめた。間断なく押し寄せる目眩に意識が遠退く、気を抜けばそのままもっていかれそう感覚に俺は必死で抗い続ける。


「ずるいよ……。じゃあ、あたしとの約束は?ずっと一緒にいるって言ったじゃない!だから行かないでよ……あたしを一人にしないで……」

……未練……

これが未練って奴なんだな。俺だって、お前を残して逝きたい訳ないだろ?だけど、それを口にする訳にはいかないんだ。せめて……せめて最期は、笑って消えたい。わかってくれよ美宇……

「無茶を……言うなよ。俺はもう……死んでる…んだぜ?」

唇の端をムリヤリ持ち上げて俺は笑った。そして寝ているポチをそっと抱き上げると顔を見る。

「ポチ、悪いけどお別れだ。これからは美宇がお前のご主人様だぞ、いいな?」

床に降ろされたポチは俺の方を振り返って不安そうに鳴く。それに応えて俺が頷くとポチは美宇に向かって歩き出した。膝を崩して座っている美宇の足にポチは甘える様に体を擦り付けると、ゆっくりと寝そべっていく。

そして美宇の顔を見て一声鳴くと仰向けになってお腹を見せた。

「……ポ…チ……」
「ははっ美宇、お前をご主人様って認めたみたいだぜ?」

両手を口に当てて美宇はボロボロと涙を零す。そんな美宇を見ながら更にポチは甘えた声で鳴いた。

「ほら触ってくれって催促してるぜ?美宇、撫でてやれよ。」

震える指先がゆっくり伸びていく。そして白い指は綿毛みたいな子猫のお腹に躊躇う様に触れた。ポチは嫌がる素振りなど見せず、ゴロゴロと喉を鳴らす。

「……お前のお腹って、こんなに柔らかかったんだね。ありがとう……ポチ、ホントにありがとう……」

美宇が子猫を抱き締めて頬擦りしていると小さなざらざらした舌が頬をペロッと舐めた。

「もう泣くなってさ。飼い猫に慰められるようじゃ、新米ご主人様はまだまだだな。ははは」

終わったな……

これで全部終わったんだ。俺の身体から急速に力が抜けていく。心残りはあるけど俺は満足だ……

「美宇、駐車場に俺の車が停めてある。ポチを連れて行け……ここでお別れだ。」
「嫌だ…嫌だよ克樹。行っちゃ嫌だ……」
「甘えるな!!」

振り絞る俺の怒号に美宇は身体を震わす。

「俺の知ってる美宇はそんなにメソメソしない!俺の好きな美宇はいつも笑顔で前向きなんだ。それが俺の愛した美宇なんだ!!」
「…克樹……」
「さぁ行け、湿っぽいのは苦手だ。美宇、元気でな。」

涙を拭い、鼻を啜り上げながらポチを抱えて頷くと美宇は静かに立ち上がった。そして、ゆっくりと遠ざかるその後ろ姿を俺は黙って見つめる。


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