琴線-4
[何で!…残業って言ってたじゃない]
一巳はにっこり笑って答えた。
[上司に頼んできた。"今日はデートなんで帰らせてくれ"って]
[ひっどーっ!]
[何故?森さんと呑めるんだ、デートのようなモンでしょ]
森はやや頬を赤らめて、"ばーかっ"と言う。二人はカウンターからテーブル席へと移った。
[とりあえず適当に頼んでおいたから…必要なら追加してくれ]
運ばれて来た生ビールを乾杯して呑んだ。一巳は半分くらいを一気に、森は1/4くらいを。"フーッ"と互いに息を吐くと一巳は森に訊いた。
[で、オレが"ベスト"に選ばれた会わせたい娘って?]
森は付きだしの酢蛸の辛し味噌和えに箸をつけながら、
[…私の…後輩なんだけど……彼女、男性不信なの]
一巳も付きだしを食べながら、
[男性不信?何それ]
聞けばその後輩は新人の時、森が教育係になった間柄で、それ以来可愛がっていると言う。昨年、その後輩が婚約をして半年後に結婚する事になった。
その彼は森と同期だった。彼の噂を森は知っていた。女性関係にルーズな奴だと……だが、今は幸せ一杯の後輩にその事を言う事は森には出来なかった。要らぬお世話かも知れないからだ。
だが、それが後悔へとつながった。彼のスキャンダルが後輩の知る事となった。オマケにその相手が後輩と同じ経理課の同僚だったのだ。故に彼女は婚約を解消すると共に社内スキャンダルの渦中に引き込まれ、そのストレスから男性不信に陥ってしまった。
一巳は森の話を聞きながら疑問に思った。
[話は分かった。だが、何故オレかという疑問は解けないんだが]
森はジョッキを傾けながら答える。
[アナタが1番"女性想い"だからかな?]
[オレが女性想いィ?]
一巳は森の理由を聞いて笑ってしまった。
[君のチョイスはミス・ジャッジしているよ。オレは…]
その言葉を遮るように森が、
[じゃあ何で私にイヤな頼み事をする時、缶コーヒーを持ってくるの?同じ事業開発部の人でもそんな人アナタだけよ。それに色々な雑誌も持ってきてくれるし…]
これには一巳も返答に困った。まさか"君が気に入ったから"とは言えないからだ。彼女は既婚者だった。
[そう思われるのは光栄だな。だが、彼女はオレを知ってるのか?]
森は大きく頷き、
[何度も見てるわ。私が言ったら会ってみたいって。ね、どうする?]
一巳は考えた。彼は近場の女性と付き合うのはあまり気が進まなかった。いくら部署が違うからといっても、同じ会社では仕事の内情まで分かっている。自分の女に仕事の事まで知られるのはイヤだった。が、森がここまで頼んでいるのだ。