ばあちゃん3-1
ばあちゃんの手術も成功したということで、私達は笑顔で病院を後にした。
帰路の車の中。
病院からずっと難しい顔をしていた父がおもむろに口を開いた。
「…あのな…」
いきなり深刻な面持ちで語り出した父に多少の不安は抱いたが、ばあちゃんの手術は成功したんだという概念が私の不安を掻き消した。
「何?いきなり。なんかあったの?」
「…」
父は黙って喋らなくなった。
なんだか鼓動が早くなる。
「お父さん…?」
ドクンドクンドクン。
何も喋らず只運転を続ける父に、不安の目を投げ掛けた。
「…あのな」
沈黙を続けていた父の低い声が不意に聞こえた。
「ばあちゃん、助からないんだと」
声は、淡々と続いた。
「癌がな、子宮とか肝臓とかに転移してて、もう取り除くのは困難なんだそうだ」
背筋が一気に冷えた。
息が止まってしまうのではないかと思う位に息苦しい。
「一年、生きられないんだそうだ…」
後半、父の声が震えた。
私は、ばあちゃんは元気になるのだと信じていた。
老い先は短かろうと、せめて私が成人して着物姿を披露するまで、ばあちゃんは元気でいてくれると信じていた。
一年?
後一年で逝ってしまう?
それでは、私の高校の制服姿すら見せることが出来ない。
駄目だ。
悲しすぎて涙も出ない。
私はあのことを父に話した。
あの血の付いた排泄物のことを。
父はそれを聞いて、
「…もっと早く、そのことを知ってれば…」
そう漏らした。
ばあちゃんは癌の痛みをずっと我慢していたらしい。
下着に血が付いても箪笥の奥に突っ込んで、どんなに痛みで苦しくても、私達の前ではにこにこと穏やかに笑って。
隠して隠して。
我慢して。
無力だと思った自分は、それと同時にとても愚かだった。
悔しくて噛み締めた唇から血が溢れ、翌日は赤く腫れた。
ばあちゃんは入退院を繰り返した。
母と姉は、献身的にばあちゃんの介護をこなした。
しかし、その生活が姉にとてつもない不満と負担をもたらしていたらしい。
「…東京に戻りたい…」
姉は、私の自室で溜め息混じりでそう話した。
その姉の不満に、ばあちゃんは気付いていた。
私と母がばあちゃんのお見舞いに来た日。
母がトイレに行ってばあちゃんと二人になったとき、ばあちゃんは私にこう言った。
「お姉ちゃん、無理してんだろ?」
どきっとしたが、何とかはぐらかそうと私は必死に言葉を探した。
そんな私を見て、ばあちゃんが目を細めて笑った。
「お姉ちゃんにはこっちで働きたいところ無いんだろ?」
私は言葉を詰まらせ顔を曇らせた。
「私のことはいいから、自分の好きなところで自分の好きなことをしろ、って伝えてくれるかい…?」
ばあちゃんの目は明らかに潤んでいた。
私は黙って頷いた。
その話を聞いた姉は、こちらに帰って来て初めて涙を流した。
翌日。
姉は東京へと旅立って行った。
『友達の家に遊びに行ってくる』と言って家を出て、そのまま東京に行ってしまった。
本当に突然のことだったけれど、慌てたり怒ったりうろたえたりする者はいなかった。
父も母も勿論ばあちゃんも何にも言わなかった。