『STRIKE!!』(全9話)-211
「知りたい?」
「教えてもらえるのなら」
無理強いはしない。晶の望まざることに脚を踏み込むのは、亮の本意ではないから。
「じゃあね……キスして」
「ぶっ」
「そしたら、教えてあげる」
んー、と晶が目を閉じて唇を差し出す。どうやら既にそのつもりのようだ。
「………」
亮は、漫画を原作にした非現実的なドラマの主人公にでもなったような、なんともこそばゆくむずがゆいものを感じた。しかし、かといってそれを拒む理由もないし、そのつもりもない。
恥ずかしさゆえに、かすかな躊躇いはあったが、すぐに晶の頬をそっと両手で包み込んで、優しく唇を重ねた。
「ん……嬉しい……」
優しく、甘いキス。それが唇だけのものだったとしても、亮の温もりが胸にしみこんできて、晶は嬉しくなる。
「ふふ、いいよ。教えてあげる……」
晶は、亮の頬に自らのそれを押し付けるようにして、更に身体を寄せてきた。
「あたしに野球を教えてくれたのは、お父さん」
「へえ……」
娘に野球の手ほどきをする父親……おそらく、かなりの野球好きなのだろう。
そういえば、晶の父親について亮は何も知らない。以前、何度か晶の実家に出かけたときは、いつも彼女の母親が応対してくれたが、その父親については顔も見なかったし、話にも出てこなかった。
なにか深い事情があるのだろう。そう思っている亮は何も詮索しなかったし、するべきことでもないと考えていた。
だから、晶の口から初めて父親の話題がでてきたことに、亮は少し戸惑いを感じた。
「お父さん、プロの選手だったの」
「!?」
「知ってる? 近藤拓也……」
「えっ!」
当然だ。なにしろ、亮が盲愛する名古屋ドルフィンズに所属していた、伝説の豪腕投手なのだから。
「あ、あの近藤拓也? プロ初登板・初先発で、完全試合をやったっていう、あの……?」
「ふふ、さすが亮だね」
そしてそれは、もう遥か昔の伝説だ。考えてみれば、晶の父親という近藤拓也がプロとしてマウンドに立っていた頃、亮はまだ生まれてもいないはず。それなのに、その伝説を知っているあたり、よほどのドルフィンズ通であることがうかがえる。
「そ、そうなんだ……そうだったんだ……」
亮は、言い知れぬ感動に身を打たれた。なにしろ、毎年ドラフト会議を過ぎた頃になると出版される“ルーキー列伝”という雑誌には、必ずトップで名前の挙がる選手だ。
その選手の血を引くのが、いま、自分の身体に甘えてくれている晶なのだということを意識すると、亮はその現実が凄まじく存在感のあるものに思えてくる。
「あ……」
だが、その選手の記憶は同時に、あるひとつの事実を亮に思い出させた。
「やっぱり、それも……知ってるんだね」
晶は微笑む。少しだけ、伏目がちに、淋しそうに。
亮の記憶によれば、近藤拓也は既に鬼籍に入っている。確か、地元の図書館になぜか保管されていた月刊ドルフィンズのバックナンバーを総ざらいしているときに、衝撃的な訃報欄が載っていたから、亮はよく覚えていた。
“ハリケーン・ルーキーの異名でファンを沸かせた近藤拓也、台湾で突然の投身自殺―――――”
「晶……」
「………」
話が止まってしまった二人に変わって、そのあたりを説明しよう。
近藤拓也は、即戦力といわれ5球団の競合の末にドルフィンズ入りしたルーキーの年に、その前評判どおりの活躍をしてみせ、初登板の完全試合を含めて完封を5試合達成するなど、16勝を挙げて新人王になった選手だ。その鮮烈な活躍ぶりが、“ハリケーン・ルーキー”の二つ名を彼に与え、ジンクス何するものぞとばかりに、2年目は21勝で最多勝、3年目はチームの不振もあり、勝ち星こそは12ヶにとどまったものの、最多奪三振と最優秀防御率の二冠を獲得した。だからこそ、ドルフィンズだけでなく日本球界の次代を担うエースとして期待されていた。
しかし彼は、実力も人気も、最も脂の乗りかかってくるであろう時期に、球界を引退している。高校時代にも、社会人時代にも、豪腕と謳われ酷使してきたその肩が、4年目のシーズンを迎える前に壊れてしまったのだ。