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銀の羊の数え歌
【純愛 恋愛小説】

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銀の羊の数え歌−17−-2

「藍斗センセ。あそこいこ」
そう言って彼女が指さしたのは、以前、僕と畑野さんが座った木陰にあるべンチだった。 「あ、うん」
彼女に引っ張られるままベンチまでくると、僕らは両足を投げ出すようにしてどっかりと腰を下ろした。
さわさわと、微風が前髪を揺らしていく。
大学生の頃、昼休みにはよくこうしてキャンパスで時間つぶしをしたものだが、今のこのゆったりとした空気はそれに酷似している。 「きれいだなぁ」
隣りに座っている柊由良が呟いた。
彼女を見てから、その視線をたどって、僕も一緒に真上を見上げた。なるほど。確かにきれいだ。アーケードのように空をおおった緑の葉が、風に押されてかすかに揺れ、その度に木漏れ日が揺らめきながら落ちてくる。
海の動きをじっと見ていて引き込まれそうになる時の感覚にも似ているけれど、それよりも万華鏡の中にいるような錯覚の方が強い気がする。
だけど、と僕は柊由良へ目を戻した。
そんなものよりも、彼女の横顔の方がよっぽど価値があると僕は思った。
こんなにも近くで見ているのに、肌は曇りなく白く、上を向いた長いまつげも、それに縁取られた潤んだような大きな瞳も、すうっととおった鼻筋も、ちょっと先の尖った耳も、彼女の横顔は、どのパーツもまるで作り物のように完璧で、驚くほど繊細な線で描かれていた。少しおおげさな言い方をすれば、奇跡を見ている気分だった。永遠に見ていたかった。
と、不意に柊由良がこっちを向いた。とっさのことだったので、動けなかった。彼女は僕と目が合うと、もったいないくらいの笑顔を見せて言った。
「藍斗センセのこと、大好きだなぁ」
あんまりびっくりして、僕は息を止めた。
数瞬、僕を取り囲む全ての時間が制止した気がしたほどだ。それから波が返すように我に返ると、今度は制御しきれない熱いマグマみたいな感情が突き上げてきて、僕は無理やり彼女から顔を背けてうつむいた。なんだかとても、いたたまれないような複雑な気分だった。
「藍斗センセがね、きてくれると、私もとっても嬉しいし楽しいよ」
彼女の弾むような声が、右の耳から入って左の耳で止まる。僕は自分の足元を見つめたまま、どうにか声を押し出した。
「これからもいっぱいお見舞いにくるから、柊さんもいい子にしてるんだよ」
うん、と柊由良の頷く気配がした。
「藍斗センセが遊びにきてくれるなら、私もちゃんといい子にしてる」
首をねじ曲げて、彼女に精一杯の笑顔を返す。と、図ったようなタイミングで、柊由良が僕に向かって右手を差し出した。僕が見舞いにくるように指切りでもするのかな、と思ったら違った。
僕の顔の前で、手のひらをいっぱいに広げると彼女は、はにかむように笑った。
細く長い、指だ。まるで、それ自体が一つの生命を持っているかのようにしなやかに動く。
「私ね、藍斗センセと楽しく遊んだ日はいっつも数えてるんだよ」
「数えてる?」
「うん」
なにを数えているのだろう。
そう思ってきいてみると、彼女はほんの少し意外そうな顔をして、
「銀色の羊さんだよぉ」
と眉をよせながら言った。
銀色の羊。
どうしても眠れなくて、よく枕元で数えるあの羊とは違うのだろうか。ますますわけが分からなくて、僕は言葉に詰まった。
柊由良はゆっくりと右手を引っ込めて、知らないの?、と首をかしげるように言った。
「きいたことないよ、銀色の羊なんて」
と僕は困った顔をした。
弧を描く、柊由良の片方の眉があがった。
まるで、ふぅん、とでも言いたげな感じだった。


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