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銀の羊の数え歌
【純愛 恋愛小説】

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銀の羊の数え歌−1−-1

ざわざわと、一陣の風が満開になった桜の木々を渡っていく。
僕は、いつもより少しだけ近い空を見上げながら、ゆるやかな斜面を上っていた。
山の上だからだろうか。四月半ばだというのに、こうしてトレーナーを羽織っていてもまだ少し肌寒い気がする。
「ああ、見えてきましたよ。牧野さん」
事務の細井さんの声に再び視線を前に戻すと、百メートルほど先、右に少し折れた所に、まだ新しい真っ白な建物を見つけた。他にはそれらしいものは見当たらない事から、あれが第一授産寮と見て間違いないだろう。僕は足早にその建物へ向かいながら、自分の鼓動がしだいに早くなっていくのを感じていた。空気が薄いせいばかりではなかった。
「この施設では、全部で三十人の入所者が生活しているんですよ」
と、息を弾ませながら彼は言った。
僕は大きく頷くと、これから数週間、自分にとっても生活の場となるその建物をゆっくりと見渡した。

今からちょうど一カ月前の事になる。僕はある入所授産施設の試験を受験した。授産施設というのは、社会になかなか適応しきれない知的障害者を預かり仕事を与え教える施設の事で僕はそこの指導員を希望したのだ。結果は合格だった。『見事合格』と表現しないのは、それが決して見事とは言い難いものだったからだ。少なくとも、僕はそう思っている。
勿論、僕だって試験に向けて文字どおり血の滲むような猛勉強をしたつもりだ。朝も昼もないほど馬鹿みたいに机にかじりつき、しまいには夢の中でもうなされるほどがむしゃらになって福祉の専門知識を一から頭にたたき込んだ。二十二年間生きてきた中で、これほどまでに勉強した事が過去に一度でもあっただろうか。本気でそう思えるくらいに、だ。
けれどだからと言って僕の頑張りがそのままその結果に結び付いたとは、どうしても思えなかったのだ。というのも、実は親父もまたその方面の職についていて、しかもそれなりの地位にいる事から、僕の受験した施設に対しどこかで余計な口添え−平たく言ってしまえば、世間一般で言うコネ−があったような気がしてならないのである。勿論それは、そういう可能性もないわけじゃないという話なだけで、僕の考え過ぎなのかもしれない。ひょっとすると、本当に自分の実力で合格したのかもしれない。だけど、この就職難の御時世。倍率だって並じゃなかっただろう。それを考えると−親父の子煩悩ぶりも踏まえた上で−やっぱり、そういった疑いは完全には拭いきれないかった。
今回の、この第一授産寮での研修を希望した理由だって、表向きには『よりこの仕事の事を理解したいから』などと偉そうな事を並べているが、実際は試験結果に後ろめたさが残っているから、他の職員たちに後ろ指をさされないよう少しでも多くの仕事を覚えたいというのが、偽らざるところの本音だった。

「大きな建物でしょう?」
僕の隣りに立ちながら細井さんが笑った。
さっきここへ来る際に事務所でもらったパンフレットへ目を落とす。
「あれと同じ建物が、他に六つもあるんですよね?」
彼は、ええ、と頷き、さらに山頂へ続く道を指さした。
「この道を上って行けば、すぐに残りの寮が見えますよ。それと、ほら、このパンフレットを見ても分かるとおり、寮の他にも授産作業楝やイベント広場、給食センターや体育館、それにグランドなど・・・事務所を中心に様々な建物が広がっているでしょう」
「まるで、要塞ですね」
「後で他の寮にも行ってみるといいですよ。 それではそろそろ行きますか。あちらの先生方もきっとお待ち兼ねですよ」
促されるまま、細井さんの後について正面入り口の方へ歩きだす。と、ちょうど来客専用の駐車場を横切った所で、僕はその陰にある小さな花壇を見つけた。近寄ってのぞいてみる。コブシ大くらいの石に囲まれたスペースの中には、黄色と紫色のパンジーが交互に並んでいた。多分、ここの入所者が植えたものなのだろう。うまく植えるもんだなぁ…と感心しながら、僕は花壇の前にしゃがみこんだ。


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