ロスト・マイ-5
「いいよ。どうせ使わなくてもキャンセル料はとられるんだ。中にも自由に使えるギターはおいてあるよ」
「ついていきました」 分厚いドアを開けて中へ入ると、ドラムセットとその横にギターがスタンドに立てかけてあります。
お兄さんは背中の、大きな四角いケースを下ろしてベースを取り出します。
アンプにつなぐと、指慣らしを始めました。
あたしは白状します。今までベースなんて。ボーンボーンとのんびり弾いて、暇な楽器だと思っていました。
このお兄さんのは違いました。
これはまるでギターの早引きです。
あたしの持ってるやつでも弾けないのに、ベースのこんな太い弦を抑え込んで、クリアな音を出しています。
あたしもギターを借りて弾いてみました。お兄さんが見ています。
しばらくして、「面白い指使いをするね。でもそれじゃあ応用をきかせにくいよ」
教えてくれました。「慣れるまで気持ち悪いけど、そうやった方がいい」
それからしばらく二人でセッションをしました。彼はあたしが付いてこられるようにゆっくり弾いてくれました。
その日の最後に初めて互いに名前を教え合いました。「俺はクロ」彼が言います。「楽しかったね、またやろうよ」
「あたしはマイ」二人で電話番号の交換をしました。
それからしばらくした頃。クロから電話がかかってきます。「どうだい。練習はしたかい。今度の日曜またあの貸しスタジオでどうだい」
「行く。いいの? またキャンセルがあったの?」
「いいよ。君にお金なんか出させられないからね」
「あたしだってお金ぐらい持ってるよ」
「中等学校生のくせに。笑わせるんじゃない」本当に笑います。
確かにアルバイトもできないし。いいギターもほしいし、お金はいくらあっても足りません。
それからも時々。クロはスタジオに誘ってくれました。横に座って、肩ごしに手をまわして、弾き方を教えてくれます。
肩に腕がちょっと当たると。≪このまま肩を抱かれたらどうしよう≫ 体がピクッとしてしまいます。
「ほらまた失敗した」
≪違うんだ、あんたのせいなんだよ≫ 心の中でぼやきます。
そうやって教えてもらって、半年以上が過ぎていきました。
クロのベースはプロのようでした。「そう、俺はプロを目指してるんだよ」クロは遠い憧れの目をします。
その目がすごくきれいに見えました。「あたしも目指していいかな」
「そうか。じゃあ頑張んなきゃな」言ってくれます。
「もっと教えてくれる?」
「いいよ」
「ありがと」思わずクロに抱きついてしまいました。クロも軽く背中に手を当ててくれます。
あたしは、ちょっとじっとしています。 ≪何を待ってるんだろう≫ 離れました。照れ隠しにちょっと首をかしげて笑います。
少し唇を舐めてしまいました。≪あン、これってバレちゃう≫