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花屑(はなくず)
【SM 官能小説】

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花屑(はなくず)-4

夫とは平穏な生活がしばらく続いた。ただ、わたしは夫との夫婦の生活の中で、いつのまにか自分の性の希薄さを感じるようになっていた。夫がわたしの肌に触れる指にも唇にも、わたしの中に入ってくるものにも、感情の高まりはなく、どんな性的な高揚もいだかない自分に気がついた。夫との性交に、わたしは自分の糠(ぬか)のような肉体に尖った堅い釘が刺されるような耐えがたい違和感だけを覚えた。夫との行為の時間に、自分の肉体の曇りに、そしてどこまでも行ってもたどり着くことのないオーガズムの幻影に、わたしは苛立ちさえ感じた。それが夫に原因があるのか、わたし自身に原因があるのかわからなかった。
ある夜、酔って帰宅した夫にベッドの端々に手首を縛られたわたしは、脚を開かされ、強引とも言えるほど、わたしの中の濡れていない中心に向かって彼のものをねじ込まれた。耳元で品のない淫らな言葉をささやき、ベッドに縛りつけたわたしを執拗に求めた。
これまで見えなかった男としての夫の姿を初めて垣間見たような気がした。そのとき夫のものの侵入を拒むようにわたしの中が萎縮し、閉ざされたとき、わたしは自分の心と肉体の醒めすぎた乖離に戸惑い、夫という男に、《何も想像されていない、どこにも隷属していない女》の自分を感じた。
気がつくと目の前には性愛に対して貧困な想像しかできない夫の顔だけが見えていた。夫に対して、ぞっとするような嫌悪感が押し寄せた。それはわたしがSMクラブで跪いた男たちの、わたしにいだく想像に快感をいだいていた遠い記憶を嫌でも思い起こさせた。それに対して夫の薄っぺらな想像しか見えてこないことが苦痛だった。そしてそのことが自らの不感症を招いたと思っている。それはもともとわたしが性的に、いや、性愛そのものに不感であったことに気づかされたというべきかもしれない。そして夫とのセックスのためのセックスは、わたしをますます自己嫌悪に追い込んでいった。
あるとき夫は、わたしの元から突然、姿を消した。夫の会社が破たんしていることをニュースで知った。警察に捜索願を出したが夫は行方不明のまま見つかることはなかった。一年後、簡単な手紙とともに離婚届が同封されていた。夫は別れる理由を綴ることはなく、別の女と暮らしていることだけを短く告げていただけだった。 


 夜の静寂が深々と深まり、わたしと倉橋のあいだにある遠い記憶を濃くしていくような気がした。
盃を手にした倉橋が不意につぶやいた。「鞭を手にしたきみは、ほんとうに男に対してサディストになれたのか」
わたしは笑いながら言った。「なれたか、なれなかったは、跪いた男の想像力しだいだったわ」
「きみらしい言葉だな」
「あら、SMクラブのS嬢ってみんなそうだわ。女のエスって、ほんとうは男にそういう女として想像される快感からくるエムだわ。だからマゾの男は想像にたけている男でないとSの女は充たされないのよ」
「わしは、きみにとってそういう男だったろうか……」
「あなたはわたしを描くためにもがいていたわ。わたしを芸術という観想の中で想像するために。ただ、それは青年の彫像に《あなたという男の性的な意味を持たせるという寓意》のためだったわ」とわたしが言うと、盃に添えられた彼の指が微かに震えた。
「きみを描く観想とは肉体的に不能なわしにとっていったい何だったのだろうか」

十七年前、倉橋が顔のない裸婦像を完成させるためにわたしを描こうとしたことは、あの青年を介してわたしと倉橋のあいだに性愛の意味を見出そうとするものだったとわたしは思っている。今さらその意味がふたりにとってどんなことだったのか……そのことを互いに囁き合うことは毛頭なかったが、今も心のどこかであの青年の彫像を受け入れようとする自分の記憶が軀(からだ)の奥をくすぐる。それはまるで倉橋が今もまだ、わたしの心と肉体に未知の性愛を求めことを望んでいるように、わたしの中に潜む翳りが何かを語りだそうとしていた。

倉橋にとってあの青年はいったいどういう存在だったのだろうかと、ふと思うことがある。倉橋があの彫像の制作に取りかかった時期がいつなのかは定かでなかったが、青年はわたしと出会ったとき、すでに倉橋の彫像のモデルとなっていたのかもしれないと思っている。
青年は倉橋の作品に心をうたれ、自らモデルとして申し出てきた美術大学の学生だったという。女性に対して不能であった倉橋が青年の若々しい肉体に、至福に充ちた恍惚とした甘美なものを直観的に感じ、彫像の創作意欲を掻きたてられたのは自然なことだったのかもしれない。それは自らの欠落した性的な機能を苛(さいな)む以上に芸術家としての美への執着とも言えるものだとわたしは思っている。


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