ザイフェルトの修行と厄祓い(後編)-6
「わかりました。帰ったら、ザイフェルトに熱がないか、おでこをくっつけてみます」
それを聞いて、アルテリスがまじまじとフリーデを見つめた。
「いや、なんか、ん〜、フリーデはザイフェルトの母親っぽくないか?」
「ええっ、私のほうが、ザイフェルトより歳下ですし、そんなことないと思いますけど」
「そうかな、なんかいつもザイフェルトを心配している母親っぽい気がする。この間も泥だらけの顔で帰ってきたザイフェルトの顔を拭いてたし。自分で拭けばいいのに、ザイフェルトも子供みたいにおとなしく顔をごしごし拭かれてた」
「ん〜、おかしいですか?」
「ザイフェルトのほうが、子供みたいなのか。伯爵様もザイフェルトみたいに甘えてくれたらいいのに。伯爵様が目に汗が入るぐらいでも、自分で拭いて、あたしに拭いてって待ってたりしないし、フリーデがザイフェルトに、あ〜んって口元にお菓子持っていくと、口を開けるけど、伯爵様にこのあいだ真似してみたら変な顔して、どうしたって聞かれたんだけど」
「スト様や伯爵様は、ザイフェルトよりも歳上で、なんていうか、その、しっかりした礼儀正しい人たちでいらっしゃいますから」
「ザイフェルトがスト様や伯爵様ぐらいの年齢になっても、あ〜んってフリーデがしたら口を開けて待ってそうだよな」
アルテリスがそう言うのは、手合わせの時にザイフェルトが、無垢なる境地から発した念の力で、アルテリスは抱きついてきたザイフェルトを、思わず抱き寄せてしまっていたからだった。あのとても満たされた感じは何だったのか。アルテリスはあまり理屈で考えるのは得意ではないが、アルテリスなりに気になって考えていた。
ザイフェルトにだけ愛されたい。フリーデのことをずっと必要と思ってもらえるように、彼を甘えさせてあげたい。
今のフリーデは、そう思えるようになっていた。
ベルツ伯爵領へ連れて来られて、ザイフェルトと結婚したばかりの頃は、自分で井戸の水汲みすらしたことがなく、村人たちとの暮らしになじんで生活できるのか、不安しかなかった。
ザイフェルトは夫でフリーデの保護者だった。伯爵令嬢としての父親から保護されていた立場を失って、夫に保護される立場となった。
子爵メルケルに強姦された時、フリーデの身と心を傷つけられたことで、ザイフェルトも深く誇りを傷つけられた。貴族の末裔である誇りと保護者である夫の誇り。誇りを傷つけられたザイフェルトは激怒した。
ザイフェルトは子爵メルケルを殺め、誇りを捨てずに潔く、伯爵領から逃げ出さずに捕縛され、ベルツ伯爵の裁きに身をゆだねた。
ザイフェルトとの婚姻は、ベルツ伯爵に承認されたものではなく、結婚式を挙げたわけでもなかった。強引で乱暴な手段とはいえ、フリーデの保護者が、ザイフェルトから、子爵メルケルに変わるだけのことにすぎなかった。
ザイフェルトは子爵メルケルを憎んだフリーデの代わりに復讐したのだと考え、息子を殺害されたベルツ伯爵に、フリーデはザイフェルトの命乞いをした。
今のフリーデには、ザイフェルトの命乞いをした時さえも、自分の覚悟が甘かったことがわかる。
強姦した子爵メルケルが憎ければ、ザイフェルトに頼らず、命がけで自分で復讐すればよかったのだ。
ベルツ伯爵にザイフェルトの命乞いをすることで、ザイフェルトを復讐のために利用したことを、ごまかそうとしていたのだとわかる。
再会したザイフェルトは、子爵メルケルを殺めたあと、フリーデを連れて伯爵領から逃げるか、自分の誇りのために潔く捕縛されるか迷ったことを、正直にフリーデに話して謝っていた。
フリーデを連れて逃げていれば、その後のフリーデの苦しみはなかったと、ザイフェルトは後悔していた。
もし、ザイフェルトがフリーデを連れて逃げていれば、誇り高いザイフェルトは潔く裁きを受けなかったことを、後悔していたとフリーデは思う。
ザイフェルトは、フリーデを復讐のために利用した女だとは考えない。
ザイフェルトは、故郷のベルツ伯爵領の小貴族である地主の立場から追放され、同時に妻のフリーデの夫の立場も剥奪されて、誇りを支えにしていた自信を失った男性になっていた。
それでも、バーデルの都でフリーデを愛人にした盗賊団の首領トーラスのように人を信じる気持ちやフリーデを愛する気持ちをザイフェルトは失わなかった。
フリーデはザイフェルトの思っているほど心の優しい女ではない。人を憎むことも、自分が生き残るためなら何でもする卑しさも持つ女だと思っている。
ザイフェルトが自信を失ったように、フリーデは自分の愚かさに何度も気づかされて自信を失った。
ザイフェルトに対してフリーデが母親のように世話を焼いているのをアルテリスから指摘されて、それは自分にはザイフェルトに愛される自信がないことの裏返しなのだと、アルテリスにフリーデは語った。
「ザイフェルトはフリーデとそっくりであれこれ考えて悩むけど、最後は何も考えられなくなって、捨て身で抱きついてくる男だよ。フリーデもザイフェルトに愛されたい気持ちをぶつけて、思いっきり抱きついちゃえばいいんじゃない?」
アルテリスは、抱擁してフリーデの頭を撫でながら言った。ザイフェルトにうまく話せない自分の思っていることを話していたら、感情が昴ぶってきて涙がまた流れた。
抱きしめて優しく頭を撫でてくれるアルテリスのほうが、自分よりよっぽど母親っぽいとフリーデは思った。アルテリスに甘えていると、きっとザイフェルトがほしいのは、このすべてを許してくれているような優しさなのだと感じた。
「ありがとう、アルテリスさん、私、もう大丈夫です」
「マリカも、フリーデも、泣くとなかなか泣き止まない。ふたりともがんばりすぎなんじゃないか?」
「ふふっ、そうかもしれないですね」
ザイフェルトの家で想像しているのとはちがった意味で、フリーデはアルテリスに泣かされていた。
そして優しく宥められていた。