ターレン王国の退廃-5
ソフィアがそれを聞いて、腰の剣からようやく手を離した。
「問題は奴隷商人シャンリーだ。あの牝狐は、何を考えているか予想できない」
ガルドは酒を飲んでから、マルセロの顔を見つめて言った。
「この国では、奴隷の売買が禁じられているのは、御存知ですかな?」
「ああ、だから辺境の村しか、奴隷を使っていない」
「貴族が使用人を雇っているのも、娼館で働く者たちも、直接働く者たちと契約していることになっています。それは、表向きはそうなっていますが、貴族や娼館に、働く者を奴隷商人が連れて来て置いていきます。売買はしていない、ただ連れて来たことになっている。そのかわりに、娼館では、花売りから、花を買ったことになっているのですよ」
それを聞いて、ソフィアの表情が少しこわばる。母親のフィオレも、モルガン男爵の館で働いていた使用人だった。
(私のお母様は奴隷だったのですか?)
「ああ、辺境の村で働かされている奴隷の中には、ガキの頃は貴族の使用人だった者もいるからな」
貴族の男性の中には、少年を使用人として雇って、慰み者にして楽しんでいる性癖を持つ者がいる。まだ、声変わりする前の少年の肛門を犯しているのである。
王都トルネリカの宮廷官僚や地方領主でも男色家はいる。
ソフィアは、モルガン男爵からベッドで貴族たちの噂話を聞いたことがあった。
バルデット伯爵は、子爵オーギャストに婚姻するように命じた。
バルテット伯爵はしはらく再婚しなかった理由は、オーギャストのことを溺愛していたからだった。また、バルテット伯爵とディオン男爵も、親友ではなく恋仲だったという。ディオン男爵の娘と再婚したのは、そうしたことが関係していると、モルガン男爵は話していた。
「この国には奴隷と呼ばれていないだけで、奴隷のように扱われている者はいくらでもいます」
「マルセロ、奴隷商人の牝狐が遠征軍を援助する理由はなんだ?」
マルセロは行商人たちから、平原の国について聞いていた。裕福な奴隷商人たちが、貴族のような立場で実権を握っているという噂である。
「なるほど、あの牝狐はそれを狙って動いているのか」
「おそらくそうでしょう。新王ランベールは王位を継いで、先代よりも優れた王だと思われたいのでしょう。以前の法律を変えたり、先代からの側近ではない者を登用したりすることはよくあることです。志願兵の募集もそうした動きのひとつかと。ランベール王に辺境へ進軍を進言したのは、奴隷商人シャンリーかもしれません」
ガルドは宿場街に潜伏しているうちに、指揮官になれるソフィア、兵糧の管理を任せられる料理番のイザベラ、ターレン王国の情勢を教える参謀のマルセロという人材を得た。
「ガルド様、しばらくは、兵士たちの訓練をここで続けるのですな」
「マルセロ、俺は辺境に待機させていた先発隊を呼び戻すつもりだった。しかし姿を消した。兵力が半分になった。だから中途半端な鍛えかたでは、動かせなくなった」
するとマルセロは、ガルドにひとつの作戦を提案した。
「王都トルネリカをいきなり陥落させるのではなく、パルタの都を先に制圧しておくというのはいかがでしょうか?」
王都トルネリカと穀倉地帯の伯爵領の間にある関所の都がパルタである。収穫期になると、パルタの都には伯爵領からの上納される穀物を乗せた荷馬車が集まってくる。
都といってもパルタは、王都トルネリカの食糧保管の拠点であり、同時に地方から領主が王に謁見する以外の目的で、王都に入ることを取り締まる関所の役割がある。
パルタの都は、もともとは地方へ進軍するための要塞である。
ターレン王国建国時は、今は穀倉地帯に開拓されている地方には、王に従わない賊軍が抵抗を続けていた。その賊軍を討伐した指揮官たちに伯爵の爵位を与え、領土の開発を命じた。平民階級の地主たちは、討伐に従軍した兵士の子孫にあたる。
「パルタの都を制圧すれば、王都への食糧の供給は止まります。それに地方の領主たちが王都に食糧を送るにしても、パルタの都から妨害ができますね」
「マルセロ、王都を制圧する時にガルド様の兵士たちは腹一杯、がっつり食えるけど、王都の衛兵たちは食えなくなるわけね」
ソフィアがマルセロの提案に同意した。
イザベラがマルセロの隣に腰を下ろし、うなずきながら話を聞いている。
「そんなに重要な拠点なら、守りの衛兵も多いんじゃないのか?」
「いいえ、パルタの都は国境と同じで、王都への通行許可の書状を渡す衛兵がいて、通行する伯爵や子爵から通行料を徴収しているだけで、国境よりも衛兵は少ないです」
もしも、パルタの都の食糧をどこかの地方領主や地主が奪ったとする。すると他の領主たちはそれを理由に、奪った領主の領土の侵略が許される。
王都から、パルタの都には守備の兵士を置かない。地方領主が互いに監視し合っている。さらに、パルタの都に王の廷臣たちが兵士を置けば、我々の領土を奪うつもりか、王への忠誠を疑うのかと、地方領主たちを刺激することになるからであった。
騎士ガルドは士爵で、領土を持たない。地方領主たちは、ガルドを討伐しても報償として得られる領土かないために、私財を投じて兵士を集めて動いても、得るものはない。
さらに、遠征のために志願兵を集めたばかり。むりに作物を育てる人手を兵士にすれば、収穫に影響が出る。
「王都の廷臣たちと地方領主たちは、新王ランベールの即位で対立していましたから、地方領主たちは、しばらくガルド様の動きを静観すると思われます」
マルセロにガルドは同意し、パルタの都の内部の地図を手に入れられないかと言った。どこから攻め込み、パルタの都を陥落させるかを考えておく必要がある。
「それならうちにあるよ。ついでに王都の地図も買ってくれるか?」
道具屋のクンツは、行商人から趣味で、各地の地図を買い集めていた。