肉人形の悔恨-2
免許証と社員証をカメラに見せる男の横顔を、美桜は睨んでいるしか出来ない。
他人の個人情報を垂れ流す自己紹介が終われば、確実にこの男は犯しにくる。
今のこんな状態で我が身を守れるとは思えない。
だが、この男の好きにさせるつもりも、撮影の成功を許すつもりもない。
美桜の身体のあちこちからガチャガチャと喧しい金属音が鳴りだす。
それは未だ屈するつもりがない美桜の強固な意志表示であり、しかしながら全く拘束が弱まらぬ現実をみれば、それは美桜に再びの絶望を強いる悪鬼の笑い声にしか聞こえない。
『実はボク、車の中で美桜ちゃんを襲ったんだけど返り討ちにされちゃって……合気道の達人だなんて知らないからさあ、もうあっという間に『ギブアップ!』だったんだよねえ』
佐藤は捻り上げられた方の腕をカメラに見せ、ケラケラとおちゃらけた。
それは美桜の強さを茶化しているようでもある。
『もう危なく110番通報されそうになっちゃってさあ、そこで仲間に助けてもらって拉致成功って流れだったんだよねぇ。へへへッ……皆んな『奥村かずさより強い』なんて言ってるんだけど本当だと思うよぉ?ああ、まだ観てないってお客様は是非とも購入宜しくぅ』
「!!!」
美桜の眉毛がビクッと反応した。
……まだ美桜が小学校の時、師範代に連れて行ってもらった全国武術大会で、奥村かずさという空手少女の演武を見た。
その時はまだ高校生だったが、かずさの堂々とした演武は素晴らしく、その生まれながらの美貌もあって、美桜は密かな憧れを抱いていた。
だが、接点というのはそれくらいのもので、決して近しい間柄ではなかった。
失踪報道を知った時、やはり胸はざわついていた。
しかし、長い月日の流れの中で、それぞれの人生を歩んでいるのだから、何かがあった≠ニ思う程度に止めていた……それなのに……。
『美桜ちゃん、奥村かずさって知ってるぅ?まあ、空手と合気道とじゃ違うからなあ。せいぜい最近テレビで名前を聞いたくらい……かな?』
(それッ……!?奥村さんッッッ……)
男が見せてきたDVDには、キッと睨みつけてくるあの奥村かずさ≠フ顔がプリントアウトされていた。
大袈裟な字体で[最強の拳・空手家かずさ]のタイトルまで付けられたそれは、確かに《商品》である。
武道を体得している女性を餌食としたDVD作成に絡めての宣伝の意味もあったろうが、昨今の報道の元凶と対面となった美桜の動揺は隠すにも難しいものがあった。
『……最初に言ったじゃない?「絶対に許さない」とか「ただじゃ済まさない」とか聞き飽きたって。アレはかずさの台詞だよ。ああ、由芽とかいう親しい後輩も言ってたっけ?とりあえず由芽ちゃんのDVDも未購入なら宜しくねえ?』
「……う"ッ…う"ぅ"ッ!」
今度はポニーテールが良く似合う可愛らしい女性のDVDが差し出された。
[痴漢を一撃!正義のヒロイン・由芽]のタイトルを見た美桜は、さっきの紹介の中にある〈真意〉に気づいた。
この男共と購入者は同じ価値観を共有している。
女性を欲望の捌け口としか認識せず、彼女らの人権など全く認めたりしない…と。
さっきあの男は自分を《食材》と呼んだ。
世の中の女性は奴らにとっては果実であり肉であり、気分良くさせてくれる酒でもあるのだ。
そんな喰われる為に存在している女性が、彼らに刃向かう事を決して許さないだろう。
痴漢を倒すなど以ての外。
性犯罪者の集団である奴らからすれば、由芽に倒された痴漢は《仲間》のはず。
その仲間を消されたという怒りは、由芽のDVDを購入する理由としては十二分であろうし、であるならば、あの時の自分の通報寸前まで行った《闘い》は、それだけで最高の売り文句となろう。
(……そ、そうよ……勝てばいいのよ……コイツらを倒せばいいのよ…!)