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レモネードは色褪せない
【ラブコメ 官能小説】

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縁結びの丘で-1




 すると彼女は言った。
「ほんとうは永遠に埋めておきたかった。だけどイツキ先輩には知っておいて欲しいの。この町に引っ越して来たあたしが、何に怯えて、何に癒されていたのかを。そして、あんなに好きだった夏を一度は嫌いになって、また好きになれた理由も」
 うん、と僕はうなずいた。心なしかラムネの瓶が重みを増したような気がする。瓶を傾けると中のビー玉がからころと音を立てた。けれどもいくら振っても便箋が出てくる気配はない。
「おい」
 背後で声がした。威嚇を含んだ男の声。そちらを振り返ると眩しい光が見えた。懐中電灯の光だとすぐにわかる。やばい、ばれたか。
「そこで何をやってるんだ!」
 声と光がこちらに向かってくる。僕は七瀬アイだけでも逃がしてあげようと思い、自らおとりを買って出た。適当に言い訳をしながら警備員らしき男に近付き、どうもすみませんと反省の弁を述べる。
「とにかく、どんな理由があろうと無断で学校に入るのは良くない。わかるね?」
 はい、よくわかります、とは顔にも出さずに僕が合図を出すと、あらかじめ逃げる準備をしていた七瀬アイがドア目掛けて走り出す。警備員も反応するが、同時に僕がドアとは反対側に逃げる。どんどん逃げる。
 作戦はうまくいった。警備員が僕に気を取られている隙に七瀬アイは屋上から脱出し、脚力には自信のある僕も数分後には鬼ごっこの鬼から無事に逃げ延びて、体育館の裏で合流した僕らは後ろも振り返らずに夜の町をどこまでも走った。
 明かりの消えた民家と、売り切れのランプがたくさん灯った自動販売機と、海開き前の穏やかな海岸と、沖に見える灯台と、とにかく視界に飛び込むすべての景色を振り切って辿り着いた先で、僕らは呼吸をととのえた。
「ここまで来れば大丈夫だろう……」
 ぜえぜえと息切れするのもかまわずに僕は根拠のないことを口にした。となりを見ると、七瀬アイも肩を上下させながら苦悶の表情を浮かべている。あんまり大丈夫ではなさそうだ。
 ひんやりとした芝生の上に腰を下ろし、僕は足を投げ出した。まさか裸足で走らされるとは夢にも思わなかったから、今頃になって足の裏がじんじん痛み出した。
「ねえ……」
 息も絶え絶えに七瀬アイが言う。いつの間にか彼女も芝生に座り込んでいた。
「この場所、おぼえてますか? あたしが初めてイツキ先輩と出会った場所」
 そう言われて、はっとした。僕たちが辿り着いた場所、そこはいつか立ち寄った海の見渡せる丘、『縁結びの丘』だった。
「僕が七瀬と出会った場所?」
「うん。あたしはまだ小学六年生でした。お父さんの仕事の関係でね、この町の学校に転校してきたんです。女の子の転校生っていうだけでとくべつ扱いされて、ちやほやされるっていうのかな、クラスのみんながあたしに興味を示しているみたいでした」
 彼女の話を聞いていて、そうだろうなと僕は思った。当時の彼女も相当可愛かったに違いなく、男子はとなりの席を狙っていただろうし、女子はあれこれ世話を焼いただろう。
「ミソラちゃんも同じ学年でした。速川ミソラちゃん。イツキ先輩の妹さんですよね?」
「うん」
「やっぱりそうだ。二人とも顔が似てるし、そうじゃないかなあって思ってたんです」
「そんなに似てるかなあ」
「すっごく似てる。あたしは一人っ子だからお姉ちゃんが欲しかったんですけど」
「ミソラにも言われたよ。どうしてうちには兄貴しか居ないんだろう、お姉ちゃんなら良かったのにって」
「ふふ、可笑しい」
 そう言って彼女はくすくす笑った。二次元の女の子がアニメーションで動いているような、どこまでも澄みきった笑顔。でもそれは現実に起きていて、手を伸ばせば触れられる場所に存在する。
「笑いすぎだよ」
「だって、ほんとうに可笑しいもん」
 彼女はずっと笑っていた。何がそんなに可笑しいのか、僕にはわからなかった。
 けど、笑顔にも寿命があった。彼女の目から涙がこぼれ落ちたのだ。笑いすぎて涙が出たのかと思ったけど、違った。
 七瀬アイは泣いていた。真珠の粒みたいな涙が頬をすべり落ちて、小さな肩が震えて、そのまま告白の続きを再開する。
「あたしはずっと一人だった。家でも、学校でも、新しい環境になかなか馴染めずにいた。クラスメートからちやほやされていたのも最初の頃だけで、みんな少しずつあたしから離れていった。だからあの日、いちばん近くに居た担任の先生に相談した。どうすればみんなと仲良くなれますかって……」
 海岸に打ち寄せる波の音が絶え間なく聴こえてくる。このまま夜が明けないのかと思えるほど穏やかで、僕はさらに耳をかたむける。
「先生はあたしに言った。二人きりで話をしたいから、放課後に保健室に来なさいって。あたしは先生の言う通りにした。カーテンで仕切られたベッドのそばで、募る思いを正直に打ち明けた。それなのに……」
 彼女は悔しそうに下唇を噛んだ。それなのに、それなのに、と何度も繰り返している。核心に触れるのをおそれている。
 それでも救いを求める眼差しを僕ではないどこかに向けながら、震える声を精一杯絞り出した。


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