なんという恰好をしているの?-1
鴨居老人の足音が、自分に今いる辺りに迫ってくると、芳恵は急に慌て出す。なぜ全裸で、局所を天井に向けて曝け出す恰好で縛られているのかわからなくとも、なんとか縛めを解き、身をかばわなくては、と思った。
「あまり暴れない方がいいよ、芳恵君。痛いだけだろ?」
老人はニヤニヤしながら近づいてくる。
「君、寝ていたんでね、折角だから縛らせてもらったんだ。結構苦労したんだよ?眠った君を全裸に剥き、この芸術的な格好に縛り上げるのは?」
「・・・と、解いて。な、縄を解いてください」
手を解こうとすれば手首が痛み、足をどうにかしようとすれば、足首も、繋がって張られた縄で腕も擦れて痛い。老人の満面の笑み。なにをされるかわからない・・・。
いや、鴨居老人が何をしようとしているのかはわかる。いつものように秘所に悪戯するつもりだろう。だが、こんな大掛かりに、全裸にされて、しかも縛られたのは初めてだ。鴨居老人のそこのない悪意を感じ、彼が悪魔に見えた。
それでもこの縛めを解けるのは、彼しかいない。芳恵は懇願するしかなかった。
「縄を解く?馬鹿言うんじゃない、さっきも言ったが、だいぶ苦労したんだぞ。ま、折角縛ってあげたんだ、君も好きだろ?こういうの?」
「い、いや・・・。やめて・・・」
「いやかね?まあ、僕も苦労しての芸術作品だ、お小遣い弾むから少し鑑賞をさせてくれ」
そう言いながら、事務所と扉を閉め、カギまでかけてしまった。
鴨居老人は芳恵に近づきつつ、靴を脱ぎ棄てた。ベルトをカチャカチャ音をさせ、外す。
(まさか!)
芳恵は自分が悪夢の真っただ中にいるような気がし、何度も目を見開いては辺りを見回す。その視線の端に、とうとう下半身下着姿の鴨居老人を認め、悲鳴を上げそうになる。
だが、いざ、すり寄る恐怖を感じてしまうと、喉は締まり、悲鳴さえ上げられない。その彼女に、ワイシャツを脱ぎ棄て、あばらの浮いた上体を晒す老人がニタニタ笑い、尚も迫った。
「ひ、悲鳴、上げます・・・」
不明瞭な声は小さく、自分の口から放たれたものだとは、芳恵はすぐにはわからないほどだった。
「君の声は大きいからなぁ」
そう言いながら、老人は最後の一枚、下着さえ降ろし始める。
(あああ、と、とうとう・・・犯される・・・)防ぎようのない、急所さえあからさまな芳恵は、早くも観念した。
「嫌わないでくれよ?」
この期に及んで何を言うのか?鴨居老人は少し恥ずかしそうにブリーフを足から抜いた。
「まだ、ほんの少し、感覚が残っているんだよ」
そう嘯きながら、股間を晒した。
「!」
芳恵の目に映る老人のそれは、彼女の豊富な性体験を鑑みても奇妙なものに映った。
(噂じゃなかったんだ!)
老人のペニスには亀頭らしきものがない。無残にも切り落とされ、先端は下手な手術のようにケロイドと、尿道だろう、縦に小さな亀裂があって、第一関節のない親指のようなものが老人の股間に残っていた。
「たまにはな、昔のように、ここを口で愛して欲しいんだよ。・・・昔ほど心地よくはないのだが、口に含まれるとな、膨らんでもくる・・・」
「ひぃやぁーっ!」
芳恵は全身震わせて叫んでいた。その男根の残りが目に迫ってきたのだ。
噂通りであれば、瑠璃子夫人はなんとひどいことをしたのだろう。彼女が、浮気を繰り返す夫への罰に、本当に老人の一部を切り落としてしまったのだ。
その重すぎる罰。実際に老人の秘密を目の当たりにする以前は、彼女の想像では、男根を根元より切り落とされ、男性機能を完全に奪われたものと思い込んでいた。だが、実際は、一番快感のある亀頭だけを切り落とされていたのだ。そのため、老人は永らく悶々としたであろう。勃起したとしても亀頭のないペニスだ、得られる快感が乏しく、性交渉の相手である女性にも、十分な快感を得ることができないペニス。芳恵に、そして噂で聞く歴代の事務員の女性器に執着するのもわかる気がした。
それを命じた瑠璃子夫人や、彼女を取り巻く、今やこの世にいない彼女の家族も醜悪で、凶悪だ。そしてそれを手伝った医師の存在も、恐ろしい。老人の歪んだ衝動を芽生えさせた張本人たちが、鴨居老人の苦悩を知らず、今も安穏と暮らしていると思うと、それこそ自分が狂気の世界の住人になっているような気がした。