アヤノ-4
すると私の髪に、何か暖かい物が触れた。
「泣かないで。俺は君を責めに来たんじゃないんだ。これから俺の話す事を、しっかり聞いてくれるかな?」
私の髪に触れたのは、“恭吾さん”と呼ばれた男性の掌だった。
その手は優しく私の頭を撫で、私をなだめようとしてくれているようだった。
『……はい。』
とても心地好い温もりだった。人の暖かさに触れた事で、不思議と乱れた心が静けさを取り戻していった。
「おい!相楽!!」
仕事を終え、家路につこうとしていた俺を、大声で呼び止めたのは上司の永井さんだった。
今日の仕事は、あるコインロッカーから発見された覚醒剤に関する報告書の製作と提出。
それを難無くこなした俺は、勤務時刻よりも30分ほど早く、仕事場である麻薬取締官事務所を後にしようとしていた。
「お前向きの仕事だ。刺傷事件のあった現場から、多数の違法薬物が出た!被害者からも加害者からも薬物反応が出ているが、どうやらいつもとは状況が違う。」
「違うと言うと?」
そう尋ねた俺に、永井さんは現場の状況や薬物検査の結果を説明した。
事件の内容はこうだ。
麻薬常習者であった10代男性が、恋人の10代女性に包丁で背中を刺された。
傷は浅く、男性の命に別状は無かったが、その部屋からは数種類の違法薬物が発見された。
そこで病院と警察にいた被害者と、加害者、それぞれに薬物検査をすると、被害男性からは部屋で発見された薬物全ての反応が検出された。
一方、加害女性から検出された薬物は、微量のダークネスという合成麻薬1種類。
このダークネスという合成麻薬は黒い粒状の麻薬だ。
この麻薬の恐ろしい所は、服用した人物の血液や唾液、精液などに、わずかではあるがダークネスの成分が含まれるという事。
つまり、服用者との性行為などで、ダークネスを服用していない人間にまで服用者と同じ症状が現れてしまう。
とてつもなく危険な薬物だ。
そして加害女性からは、性行為の痕跡が見付かった。
その事から考えて加害女性に薬物の常習性はなく、ダークネスを服用した被害男性と交わった事で、ダークネスの成分が体内に入ってしまったのだろう。
そこで考慮しなければならない点は、加害女性が被害男性を刺した事にダークネスの麻薬成分が影響していたかどうか。
まぁそれは警察の取り調べや、詳しい検査で判明するするだろうが、どちらにしても彼女には何らかのケアが必要だろう。
それが俺に適任だと、上司の永井さんは判断したようだ。
俺は薬学大学で薬学について学ぶ傍ら、カウンセリングについての講義も受けていた。
そしてその2つを活かせる職業をと考えた結果、麻取に強い興味を抱いた。
少々異色の選択ではあったが、その選択のお陰で今の俺がある。
俺は永井さんの話を聞き、直ぐに加害女性が連行された目黒署へと向かった。
目黒署は事務所から最も近くにある所轄署だ。
留置施設を持たない俺達麻取は、摘発した容疑者の留置に所轄署を借りる。そんな事もあって、目黒署はよく足を運んでいる場所だった。
また、公私共に親しくしている新米刑事“友常 栄祐”の配属も目黒署である。
栄祐は俺よりも随分と年下ではあるが、互いに非番の時には連れだって夜の街へと繰り出す仲だ。
もし栄祐が加害女性の取り調べに関わっているとしたら、女性が余計な不安を駆り立てられる様な取り調べ方はされていないだろう。