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ブービートラップ
【ショタ 官能小説】

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エピローグ、そして新たな始まり-1

俺は、今、ウクライナの首都キエフで、自分の娘たちよりも一回り若い20歳前後の3人の女たちと一緒に暮らしている。

だが、その話しは、また別の機会に譲るとして、まずは俺の物語の第一幕を締めくくろう。

俺は、1987年8月末に家族と渡米し、前世と同様にサンディエゴのLa Jolla地区で新生活を始めた。そして、俺は、家の近くの中学校La Jolla Middle Schoolの7th grade(7年生)に編入されたが、前世での知識のおかげで言葉にも、勉強にも全く何の不自由もしなかった。ただ、この学校の生徒の大半は白人の金持ち連中のガキたちで、共通の話題を見つけようとするのが非常に億劫だった。だから、俺は、普段はたいてい1人で読書して過ごした。

一方、ジェニファー・ジャッキー双子姉妹は、7月下旬に日本からサンディエゴに戻ると、ジャッキーのコンドミニアムでしばらく同居した。

そして、ジェニファーは、8月中旬に旅行代理店で働き始めると、別にアパートを借りて1人暮らしを始めた。

華恋は、9月の初めに海軍看護隊に入隊し、サンディエゴ郡National Cityにある海軍基地内の官舎で暮らし始めた。

だが、9月中旬に3人姉妹は全員妊娠していることが発覚した。

3人姉妹の妊娠が判明してからも、週末になると俺たち4人は、定期的にジャッキーのコンドミニアムに集り、胎児の発育状況や、その他の近況を報告し合った。それから、一緒にご飯を食べて、お腹の子どもたちを慈しむように、優しい4Pセックスをした。

翌年(1988年)の5月に3人とも無事に、元気な女児をそれぞれ出産した。全員、俺の大切な娘たちだ。誕生日はジェニファーの子のサラ(Sarah)が5月2日、ジャッキーの子のフィービー(Phoebe)が5月5日、華恋の子の華桜(さくら)が5月8日と1週間以内に出産ラッシュが続いた。

俺たちは1988年6月12日(日曜)に7人一緒に、フォトスタジオで記念写真を撮影し、そのあと、ファミレスのSizzler’sで、バフェットのランチをした。それは、俺の人生で今に至るまで最も幸福な日だった。Operation Satyriasisは大成功に終わったかに見えた。

けれども、幸福な日々は長続きせず、突然終わりを迎えた。華恋が、シングルマザーであったために、海軍の内偵が入り、華恋、ジェニファー、ジャッキーは皆、12歳の未成年者(つまり俺)に対する姦淫(sexual molestation)容疑で逮捕、起訴され、俺の3人の可愛い娘たちは、Foster Care(裁判所が選任する里親)に取られてしまった。

また、メディアの好奇の標的にされた俺の一家は、父親の勤務する会社の命で、タイのバンコクに飛ばされた。

俺は、それから2000年6月まで、日本の地を踏むことはなかった。華桜から手紙をもらうまでは。

その時から、俺の愛する3人のハニーたちを取り戻し、大切な3人の娘たちを救う俺の闘いが始まった。


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