一炊の夢-1
“Wake up. Wake up, Kou.”
「起きて、コウくん。」
誰かが、俺の名を呼ぶ声が聞こえる。うっすらと、目を開けると、ジャッキーと華恋の姿が、見えた。なんだ。みんな大丈夫そうじゃないか。それに俺は、確か車にはねられたはずなのに、手や腕も脚も動くようだ。
ジャッキーは白いブラウスに黒いミニスカートを履いている。一方、華恋は、淡いピンク色のナース服を着ている。2人とも、一体、いつの間に着替えたのだろう。
ん、今、俺がいるここはどこなんだろう。辺りから、日本語が聞こえてくる。
“It looks like he’s come back.(彼の意識が戻ったみたい。)”とジャッキーが言うと、
「まあ、軽い脳震盪のようだから、そんなに心配することはありませんよ。」と華恋が日本語で応じた。華恋の口調はとても穏やかだ。さっきの、感情むき出しの対決ムードはどこへ行ってしまったのだろう。
“Where are we right now? (今、ぼくたちはどこにいるの?)”と英語で聞くと、
華恋はクスッと笑って、「この子ったら、英語喋ってるわ。おませさんね。」と言った。
俺は、ジャッキーの方を向いて、”Jackie, what happened to me? Where did I end up in?(ジャッキー、ぼくの身に何が起きたの?ぼくは、今いる場所はどこなの?)”と尋ねた。
“I’m no Jackie. I’m Jeniffer. We met each other for the first time. But how come you know my sister’s name? (わたしはジャッキーじゃないわ。ジェニファーよ。わたしたち、初対面でしょ。それなのに、どうして、わたしの妹の名前を知っているの?)”
ん、ん。状況を理解できない。ジェニファーと名乗る女性(ひと)は、不思議そうな目で俺を見つめた。
「華恋さん、ぼくたちがいるこの場所ってどこ?」と俺は、今度は華恋に尋ねた。
「ヤダぁ、この子。どうして、あたしの名前知ってるの。以前会ったことあるのかしら?」
2人とも、ふざけているとしか思えなかった。だが、もう一度俺は、尋ねてみた。
「ここはどこなの?」
「名古屋市立大曽根中央病院の病室よ。君は、電車の中で、意識を失ったため、こちらの方が、最寄りの駅で下ろして、駅員に言って救急車を手配してくださったのよ。君のポケットのサイフから、学習塾の塾生証が出てきたから、君の氏名と住所は分かったわ。それから、塾に連絡して、ご両親にも知らせたわ。もう、こちらに向かってるころだと思うわ。」
“You fell down on my back in the train, and then got your head hit hard on the floor. Next thing I knew you passed out.“
「私、英語少し分かるから通訳してあげるけど、君、電車の車内で彼女の背中に倒れ込んだんだって。それから、床に頭を激しくぶつけて、気絶したそうよ。」
「今日の日付は?What date is today?」と俺は2人に聞くと、
“Sunday, June 7th, 1987.”
「1987年6月7日、日曜日よ。」
と、2人はほぼ同時に答えた。
よく見ると、俺の身体は、4年前のチビの姿に戻っていた。
昔、唐代の支那に盧生という名のひとりの青年がいた。彼は立身出世を志して楚の国へ向かう途中、邯鄲という村で道士に枕を借りてひと眠りし、その間に自分が栄耀栄華を尽くす一生を送る夢を見る。しかし、目覚めてみると、まだ炊きかけの粟飯も炊き上っていない程、束の間の時間しか経過していなかったという故事がある。
俺は、ずっと夢を見ていたのか?俺が、この4年の間に体験したことの全てが、本当に儚い束の間の夢だったというのか?