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ブービートラップ
【ショタ 官能小説】

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1990年7月2日-1

1990年7月2日

私がNurse Corps(看護隊)の訓練課程を終え、Corporal(伍長)に昇任してから、既に3ヵ月が経過した。新しい部隊や任務にも、もうすっかり慣れた。現任地のCamp Pendletonには、Amphibious Warfare Training Center (水陸戦闘訓練センター)があり、新兵たちが海外に配属(overseas deployment)される前に、最後のboot camp(地獄のシゴキ)が、この訓練施設、およびここから10マイルほど沖合にあるサンクレメンテ島を舞台に行われる。

それは、まさに実戦を想定した「戦場」だ。だから、上陸艇から冷たい海水に投げ出されて低体温症にかかる者、崖から転落して手足を骨折する者など、訓練中に体調不良を訴えたり負傷する隊員が後を絶たない。おかげで、私たちの衛生小隊も24時間気の休まる時がない。

それにしても、私がここに至るまでに辿った道程は、決して平坦ではなかった。

私は、中学生のとき、里親だったJay神父とSamantha修道女の勧めで、米国の児童福祉給付金を受給するため、合衆国政府を相手取り国籍確認の訴えを起こしたが、敗訴した。母を強姦した3人のレイピストらのうち、一体誰が母を孕ませた張本人なのかを裁判で証明できなかったためだ。それにしても、この国の司法制度は何か根本的に間違っている。私の訴えを棄却しただけでなく、そもそもレイピスト達を断罪すべき軍法会議の陪審員たちは、証拠不十分を理由に、あの人でなし達に無罪評決を下した。

私が少女だった当時、沖縄では、ハーフの子供といえば、たいてい置屋の娼婦の私生児と思われていた。だから、私はどこに行っても白い目で見られた。私もお母さんも何ひとつ悪くないのに。

一番つらかったのは、お母さんに、私が誰か分かってもらえないことだった。でも、私はお母さんの力になりたいと思ってずっと生きてきたし、今もその気持ちに変りはない。私はもっと強くならなければならない。お母さんと自分自身を守るために。

私は力に渇望した。そして、強くなるためなら何でもしようと心に誓った。たとえ、それが悪魔に魂を売ることになろうとも。私は米国籍のJay神父と正式に養子縁組し、グリーンカード(アメリカ永住権)を手に入れた。

しかし、彼は少女の私に平然と口淫を迫るような最低の屑だった。ある晩、あの男は就寝中の私に夜這いを掛けてきた。私に跨り、私のパジャマを引き裂いて、強引に私の処女を奪おうとした。私は必死に抵抗したが、腕力に優る彼は私を組み伏せた。そして、私の口元に禍々しく硬直した穢らわしいものを突きつけてきた。私は舐めるフリをして、思いっきり噛み付いてやった。

私の口内に鮮血が飛び散った。と、同時にあのゲス野郎は、情けない悲鳴を上げて、飛び上がった。その後、私はもう二度とあの家には戻らなかった。

中学を卒業すると、准看護師養成コースのあった県立高に進学し、卒業後は病院で実務経験を積みながら、さらに正看護師の資格取得を目指して県立看護学校で学んだ。

一方、グリーンカードを取得してから5年が経過した19歳の時、私は帰化手続により合衆国市民権を獲得した。

私は県立看護学校を卒業と同時に内地の病院に就職した。岐阜県多治見市立市民病院という、私にとって縁もゆかりもない土地の公立病院だった。正直なところ、県外で実務経験が積めるところなら、どこでもよかった。


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