Moving into the Sunshine State-1
合気道は、人体構造への深い洞察と、巧みな力学的エネルギーの利用にもとづく究極のマーシャルアーツだ。相手の動静を正確に読み取り、そのモーメンタム(勢い)に付け込めば、非力な女、子供、老人でも容易に巨漢をねじ伏せることができる。
俺が、通いだした東風道場の時任要(ときとうかなめ)大先生は、御年81才の御老体だ。しかし、背筋はピンと張り眼光鋭く、いかにも只者ではないという雰囲気を漂わせていた。かつて帝国陸軍のスパイ養成機関であった中野学校の指導教官を務めたと噂される人物だ。
俺は中1のときに、愛知県立武道館で初めて先生の凄さを目の当たりにした。そうは言っても、俺はその日、先生の演武を見に武道館にやってきたわけではなかった。実は、合気道の演武そのものが予定されていなかった。その日は、インハイ柔道の愛知県内予選がそこで行われ、俺は出場予定の高等部の先輩の応援に駆けつけたのであった。予定より少し早く予選会場に到着すると、会場前には対戦表を見に集まった黒山の人集りが既にできていた。その辺りの空気はピリピリと殺気だっていた。
そうこうするうちに、群衆の中から怒声が上がった。そして、ライバル校同士と思しき猛者がタイマンを張り始めた。俺は恐ろしくなって、物陰から様子を窺っていた。共に、少なくとも身長180センチはあろうかという大男達である。巨漢同士が殴り合いを始めようとした丁度そのとき、高みの見物の野次馬の中から、スッと老人が現れ、「バカモン、頭を冷やせっ!」とドスのきいた声で2人をたしなめた。巨漢の1人が「ジジイ、怪我したくなかったら引っ込んでろ。」と怒鳴った。次の瞬間、その老人は電光石火のごとく動き、鮮やかな技をきめてゴリラ達を制圧した。正に、瞬殺であった。群衆から歓声が立ち上った。たまたま、一緒に応援にやってきた級友から、その老人の正体を知らされた。
俺は、今一番尊敬している人物は誰か尋ねられれば、躊躇いなく、時任先生と答えるだろう。もっと早くから、先生に師事しなかったことを悔やんだ。しかし、俺に残された時間は最早なかったため、その日(26日)の午後、再び、名古屋市内の先生の道場に直談判に行った。幸運なことに、先生は道場にいた。俺は、先生に『もっと強くなりたくて、先生の道場の門をくぐり、せっかく門下の末席に加えて貰ったのに、まだ未熟なまま、明日アメリカへ向けて発つ。』という俺の事情を話した。先生は、「ちょっと、待っておれ。」というと、俺を置いて何処かに消えた。10分ほどして、先生は戻り、俺の前にドンと段ボールの箱を置いた。先生は、俺に「箱を開けろ」と言った。中には変色した紙の束とビデオテープが入っていた。
「ワシの全ての技の虎の巻じゃ。それから、ワシの演武を撮影したビデオじゃ。それを見て、自己研鑽に励め。」
俺は、時任先生に心から感謝し、道場を後にして多治見に帰った。差し当たり、必要な物や現地調達が困難なものは、既に船便でアメリカに送る手配を済ませてあった。そして、父親は既に2週間前に現地入りしていたため、俺は母親と2人で最後の荷作りを終え、翌日27日の夕方の便で小牧空港から、ロサンゼルスへ向けて飛んだ。そこで、入国審査を通過し、国内線に乗換えてサンディエゴに27日午前11時頃到着した。移動に半日以上かかっているのに出発した時刻より早くと着くいう時差の謎に違和感を覚えた。サンディエゴ空港の到着口から外に出ると、ひんやりと乾燥した空気を肌に感じた。そして、眩いばかりの南カリフォルニアの陽光に圧倒された