人間が殺人人形になる話。-1
一回で見つかる確率はどれくらいなのだろう。
それは現実逃避の思考だとわかっていた。確率を考えるあたりが、数学教師という私の職業を表していた。
私のメールアドレスに送られてきた、美術室での淫行の動画。
そして続く画像には、監禁されていると思われる深町君の写真。
そして――海辺の人気のない、廃工場に来いとの指示。
時間は夕方の六時に指定されていた。それに間に合うように早退を申し出ると、学園長から嫌味を言われる。少しでも時間が惜しいので、無理矢理に話を切ると急いで自分の車に乗った。
怖いという感情は、本来は私は薄い。だけど、やっと出来た大切な人を失うかもしれない恐怖は、アクセルを加速させた。
指定された場所に止めると黒いバンが先に止めてあった。
そんなことはどうでもいいと頭を切り替える。最優先は深町君だった。
廃工場は本当に廃工場という感じで、荒れ果てていた。だけど余計な機材が撤去されているからか、意外と見晴らしはいい。
その中心に、深町君といじめのグループ――古谷達三人、計四人がいた。
見たところ、深町君に大きなダメージはないけど、ガムテープで手足と口を拘束されている。
動揺していないとは言わない。だけどそれを見せてもいいことはないので、ふう、とわざとため息を吐いてやる。
「こんなことをして、また学校が揉み消してくれると思っているの? 古谷君」
進学校には珍しい、というより異質な、緑に染めた髪とピアスが特徴的な生徒だった。親が裕福で、学校への献金も多く、そのせいで学園長や理事長は彼の親に頭が上がらないという。
だけどこれは、もはやいじめというレベルを超えた問題だった。
「学校に頼れないのはアンタの方だろ?」
ひらひらとスマホをかざす。動画が再生されているらしく、吐息と湿った水音と、私たちの声が再生されている。
「興味なさそうな顔して、派手なプレイしてんじゃん」
下品な笑いが耳に付く。深町君は目を塞いでいた。
「これをバラされたくなかったら言うことを聞けよ」
昔からアンタは気に食わなかったんだと古谷は言う。私を偏差値信奉者と揶揄していたのも彼からだった。
「バラしたいならバラせば?」
一瞬、三人はもちろん、深町君も戸惑いの気配がした。
「教師という仕事に執着はないの。懲戒免職になっても構わない。貴方達から離れられるなら深町君が退学になるのは望むところよ」
半分は嘘だったけど、教師に執着はないのは本当だった。
「ネットでばらまく? 脅迫罪やリベンジポルノ防止法って知ってる? 捕まるのは貴方達よ」
実際はばらまかれたらこちらも世間体というものがどうしても問題になるだろうけど、そのあたりの機微を若い彼らが知っているとは思えない。ダメージが大きいのは自分たちの方だと思わせればそれでいい。
「そういうところが気に入らねえんだよ」
ペッと唾を吐くと、深町君のお腹を思い切り蹴り上げる。
「グふっ」
叫びそうなのを、何とか耐える。叫べば叫ぶほど、彼らを喜ばすだけ。
そう理解はしていても、顔が歪むのはどうしようもなかった。
「へえ、アンタもそんな顔すんのか」
そそるねえと取り巻きとともに嗤う。
「ま、アンタに動画が意味ないのはわかった。深町は簡単に引っかかったけどな。けどアンタにとっても深町は違うだろ?」
「何をする気?」
「利き腕折ってやるよ。指の先まで、一本一本な」
「――――」
画家を目指している深町君にとって、致命的なダメージになりかねない。
「傷害罪になるわよ。わかって言ってるの?」
「アンタにとっては俺らが傷害罪になるかどうかより、深町の手が動くかどうかの方が大事だろ?」
その通りだった。はっきり言って真面目な世界で生きてきた私では、このような駆け引きが上手く出来ない。
「何を望むの? お金ならたくさんあるでしょう? カツアゲの被害は深町君だけじゃないって聞いてるわ」
何より古谷の親が金持ちだ。小遣いはいくらでもあるはず。あのバンも古谷のものだろう。
「この動画見てるとさ、結構アンタそそる身体と声してるよな……? 顔もいいし、なあ?」
「何が言いたいの?」
「チッ、これだから堅物教師は最後まで言わないとわっかんねえんだよな……、ヤラせろよ」
「…………」
「古谷さん、俺らにも分けてくださいよー?」
「トップバッターは俺だ、後の順番はお前らが決めろ」
もう彼らの中では決定事項だった。事実、私はこれ以上のカードを持ち合わせていなかった。
「んー、んー、!!」
「うるっせえよ!」
ゴン!と今度は背中を踏みつけられる。深町君が。私の、大切な、大事な、人が。
「やめなさい!」
私は一歩を、踏み出した。
「……私のことは自由にしていいわ……、だから深町君を離しなさい!」
「ヤッたら解放してやるよ」
古谷達が嗤う。この後に起こる運命も知らずに。
私自身も、何も知らずに。