『第2章 その秘密の出来事は』-12
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「あら、亜紀ちゃん。何?」
亜紀は明くる日の朝、遼の姉海晴に電話をした。
「ちょっと遼のことで訊きたいことがあって。夕方お宅にお邪魔してもいいですか?」
「今日は午前中で上がるから、お昼に会おうよ。ランチ一緒にどう?」
「いいんですか? ありがとうございます」
正午を過ぎた頃に三丁目の青葉通りアーケードの老舗イタリアンレストラン『アンダンテ』の、窓際に並んだ白いテーブルの一つで亜紀と海晴は向かい合っていた。
「ありがとう。予約してくれてたんだね」海晴がおしぼりで手を拭きながら言った。
「はい。ここは海晴お義姉さんもお気に入りだし、この時間結構混むから」
店内はほぼ満席だった。平日のランチタイムには勤め人の姿も多かったが、時間に余裕のある主婦や学生など、女性を中心に常連客が連日のように店内を埋める人気店だった。
「最近来てなかったのよね。嬉しい。デザートに白葡萄のジェラード頼もうかな」
おしぼりを軽く畳んで脇に置いた海晴は、亜紀に目を向けた。
「で、訊きたいことって?」
「はい。他愛もないことなんですけど……」
「うん」
「遼のいとこさんの剛さんって、どんな人なんですか?」
「剛兄? 横浜に住んでた?」
亜紀は頷いた。
「遼からどの程度聞いてるの?」
亜紀は左の手のひらに右手の人差し指をメモを読むように動かしながら言った。
「篠原家は横浜に住んでて、秋月家とは親戚関係。遼のお母さんも横浜出身でこの町の秋月家に嫁いだ。剛さんのお父さんが遼のお母さんのお兄さん。合ってますか?」
「間違いないわ。その剛兄の父親は正(ただし)って言うんだけど、剛兄が大学に入学すると間もなく家を出ていった。怪我をした時もその父親は姿を見せず、噂では違う女と暮らしているということだった」
「それって……」
海晴は肩をすくめて続けた。「結局両親は離婚して、剛兄は母親と姉の三人で暮らすことに。ただ生活費をまともに入れてくれない父親だったらしくて、経済的にとても大変だったから、剛兄は授業料免除の手続きを取ったり、お姉さんに援助してもらったりして何とか大学に通い続けた。ところが彼が四年生の時、柔道の練習中に怪我をして下半身不随に」
「大学は卒業されたんですか?」
「ぎりぎりね。かなり大学からも配慮されたらしいわ」
海晴はグラスの水を一口飲んだ。
「後で知ったことなんだけど、剛兄が怪我して入院した時、うちの母が何日か泊まりがけで世話しに行ってたみたい。お陰であたしと当時高一だった遼は無事姉弟相姦を完遂させた」
海晴は笑った。
「お父様も単身赴任中って仰ってましたね」
「あたしたち姉弟がちっちゃい頃は剛兄もそのお姉さんもよく秋月家に遊びに来てたんだけど、父親の行いのせいで彼が大学に入った頃からずっと疎遠になってたのよ。剛兄と最後に会ったのはあたしが高三の時。弟の遼は小六ね」
「そうですか……だからあんまり情報がないんですね、篠原家の」
「その後、ずっとつき合ってた岡林利恵さんと結婚して、今はこの近くに住んでるらしいけどね、彼女が卒業した年に生まれた坊ちゃんと三人で」
「そのお相手の利恵さんって、あたしたちの高校に教育実習で来ていた大学生なんでしょ?」
海晴は上目遣いで亜紀を見た。
「亜紀ちゃんは話したことあるの? その利恵先生と」
亜紀は首を振った。
「いいえ。あたしのクラスには授業にも来られなかったし。就任された時と退任式の時に体育館で遠くから顔を見ただけ」
「そっかー。でも偶然親戚になっちゃったね」
「この町に住んでいらっしゃるんですね。それも奇遇」
「あたしもずっと知らなかった。教えてくれなかったからね。やっぱり父親があんな感じだったから、こっちの秋月家の敷居は高かったのかもね」
海晴はグラスについた水滴を指で拭った。