one lives two case-4
いつも俺の心を惹きつけるはずの星たちは、分厚い雲に阻まれて、その姿を見せなかった。
『分かっているじゃないか、英次』
彼は小さく囁いた、俺の耳元で。
『ほら、そろそろ太陽のお出ましだ。世界が動き出すぞ。お前は死ぬ時間だ』
くくく、と笑いながら、ソレは言う。
一点の曇りも無い鏡を突きつけられた様に、吐き気がするほど姿形が自分に似ていて俺はソレを無視することができない。
「精神的な問題です」その悪態を無視しながら看護婦に続ける。
「話してくれないかしら、あなたが抱え込んでいる問題を」
『やめておけ。アレではお前を救えない。分かっているだろ?』
頭痛が始まった。同時に彼の姿は、焦点を得たようにはっきりとしていく。ならば逆に蜃気楼のようにぼやけていく者がある。世界から溢れていくひとがいる。
「幻覚を見ます」
「幻覚?」
「それは自分と同じ容姿、声で俺に囁く。『お前は不必要な人間だ』って。あの手この手で俺を引きずり込む」
「どこに?」
「絶望に、ですよ」
もう一度、地平線を見遣る。果ては、あるのか。この忌々しい現実に。
「その幻覚は今も見えるの?」看護婦は尋ねた。
「見えますよ、朝の光とともに、ソレは現れる」
『幻覚と言ったのか?俺を幻覚と。笑わせる。その幻覚とやらにお前は毎日救われているのさ。俺がいなかったら、お前は今ごろこの屋上の下の花壇に頭から落ちているだろうよ』
それはきっと正しい。
考えることで俺はこの世界に留まっている、首の皮一枚の危うさで。
『お前は、目の前に広がる世界を受け入れられない。それは分かっているだろう?』
――― あぁ、そうだな
『この世界に棲んでいる奴らが皆明日を向いているから。何の指針もないお前は平気な顔で、そいつらと暮らすことが出来ないのさ』
哀れむような眼差しで、彼は俺を睨む。
――― 分かっているから、少し黙れよ。
『けれど俺なら』
「もう寝ます。看護婦さん、おやすみ」それ以上の言葉は紡がせない。光を浴びるほど、彼は自分の大部分を占めていく。
「えぇ、おやすみなさい。良い夢を」看護婦は言った。
夢は見ない。
夢に見るほどの理想を、俺は持ち合わせていない。
ただ自身を保つために、昼を否定する。
岬さんは屋上を後にした。
―― 幻覚を見ます
今まで、そのような症状を持つ患者には会ったことがなかった。
いや、忘れるな。
もうひとり、いるじゃないか。
決して昼間に行動できない人間を、私は良く知っているじゃないか。
夜の世界に置き去りにした、愛するひと。
もう一度彼に会いに行こう。
岬さんを、レイを救うためには、もう一度会って話すしかない。
そしてそれはきっと、私自身を救ってくれる。
今までの経過を、レイは黙って聞いていた。ジョッキのなかにアルコールは残っていなかった。
「レイ、本当のことを聞かせてほしいの。あなたも、その岬さんと同じ症状なの?」
幻覚を、見るの?
私は覚悟を決めて聞いた。レイは暫く無言だった。きっと彼は悩んでいる。それは私と過ごした四年間の日々。そのなかで結局本音を明かさなかった彼は、今それを告げることで、私たちの過去を意味の無いことにかえてしまうことを怖れているのだろう。
「レイ、お願い」
彼は私の瞳を見た。その奥を見た。その中に澱んだ悔恨を、見つめた。