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銀の羊の数え歌
【純愛 恋愛小説】

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銀の羊の数え歌−5−-1

プランターへの植え替えを終え、汗びっしょりでビニルハウスから出てくると、林の奥から流れてくる風がそよそよと前髪を揺らした。 朝方まで降り続いていた雨も、僕らが仕事に出る頃にはどうにか上がってくれて、仄暗い雲の合間からのぞいている太陽は、しだいに柔らかな光りを落とし初めている。この分だと、今日はもう降らないだろう。近くの水道で手についた泥を流すと、僕は濡れた手をぷらぷらさせながらそこら辺をなんとなく歩き始めた。
一応、自分の仕事はこなしたわけだし、ポケットに入っていた腕時計も、もうすぐ三時になろうとしている。どちらにしろ、他に作業をするには半端な時間だった。隣りのビニルハウスに入ってみると、中では年配の女の人が三人、それぞれの場所を陣取って作業に取り組んでいた。僕と同じように、苗の植え替えだ。ただ、プランターに上がっている苗の種類は、僕のそれとはちょっと違っていた。僕が扱っていたものより一回りも二回りも大きく、中には、すでにつぼみをつけているやつもある。何の花かは知らないけれど、きっと綺麗に咲くに違いない。これは僕が授産施設へきた日に、園芸科の責任者である佐藤さんから聞いた話なのだけれど。どうやら、ここで育てている花やハーブはちゃんとした売り物になるらしく、毎年、時期がくると近くの小学校や幼稚園、時にはちょっと距離のある病院などからも注文が殺到するのだと言う。そしてそこで得た収入が、例えば施設の運営費だったり、入所者への給料などに変わるというわけだ。
「そうそう、ここへくる途中にハーブ園があっただろう。あそこも半分はうちのハーブを置いているんだよ」
佐藤さんからそう聞かされた時、僕はなんとなくがっかりしてしまった。あそこには以前、琴菜と二人で遊びに行った覚えがある。外へ出て、それからまた少し歩くと、最後のビニルハウスを越えた所には、少し奥まった形で畑が広がっていた。僕はふと足を止めた。
柊由良だ。
泥んこになりながら鍬で土を掘り起こしている人達の中に、やけに肌の白い人がいるな、と思ったら、それが彼女だった。今日の柊由良は髪の毛を後ろで一本に束ねて、紫陽花のような色のリボンを結んでいた。何を話しているやら、周りの人達に口を開いては楽しそうに笑っている。その光景を眺めていると、
「嘘つき」
不意に琴菜の言葉が耳元によみがえって、僕は反射的に柊由良から視線をもぎ離した。
とたんに胃のあたりが、思いっきり握り締められるように痛んだ。昨日の情景が、あまりにリアルに脳裏に浮かぶ。あの時、なんだって琴菜はあんな事を口にしたのだろう。今になってから考えてみてもさっぱりわけが分からない。
「どうして、彼女の事がそんなに気になるの?」
喫茶店を出たばかりの所で、琴菜は僕の目を見据えながらそう言ったのだった。
その言葉の意味を理解するのに、たっぷり五秒はかかったと思う。呆れた。こともあろうに、彼女は僕が柊由良に気があると勘違いしたらしい。どこをどう解釈すればそんなふうになるのか。あまりのばかばかしさに怒りさえ覚えながら、僕はそれに答えようと口を開きかけた。が、再びそれを制したのは、琴菜の方だった。
「仕事で、ちょっと気になっただけって言いたいのかもしれないけど」
僕は口をつぐんだ。分かってるじゃないか。
「でも、違うよ」
「何が違うのさ」
カチンときて、僕は言い返した。
「好奇心ってあるだろ?ちょっと気になったから聞いてみただけじゃないか。それを何だよ。勝手に誤解してさ」
「そんなのじゃないもん!」
琴菜は叩きつけるようにして言った。その顔は、もはや泣き出す寸前だった。
「私だって、藍斗の事、ちゃんと見て来たんだから。今までずっと見て来たんだから。だから分かっちゃうんだよ。もしそれでも違うって言うんなら、それはきっと藍斗が自分で気が付いてないだけだよ!」
僕をじっと見つめていた瞳から、ついに涙がこぼれた。まばたきをする度に、それは次から次へと滴になって頬を伝っていく。焦りを隅へ追いやりながら、僕は今にも砕けてしまいそうな彼女の瞳を強く見つめた。自分がどんなに馬鹿な事を勘ぐっているのか、どうしても、この場で分からせてやりたかった。


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