イノセント・ラブドール-7
ぼくのラブドールが、ぼくの意思に反して、ぼくの手を離れて、勝手に蠢いていた。
ぼくの中で生ぬるい液体が澱み始め、下半身を強ばらせていく。ぼくの感傷が奪われ、削がれ
ていくと同時にぼくのからだの中にある色彩が希薄になっていく。
彼はその凛々しい身体であたりまえのようにマイコさんを美しく抱擁していた。ぼく以外の男
に操られるラブドール。ぼくは隠れていた樹木に爪をたて、身体を擦りつけた。そしてまどろ
むようにペニスがねじ曲げられ、睾丸が握りつぶされているような錯覚に陥っていった…。
その日から、ぼくはマイコさんのラブドールに首輪を付け、彼女を犬小屋ほどの鉄檻に入れた。
もちろん何も身につけるものはない。狭い檻の中で彼女は跪き、四つん這いでぼくをじっと見
ているだけだった。
ぼくにとってマイコさんの存在がほんとうの意味での《想像》になり、ぼくと彼女は無関係に
なったとぼくは思った。あの男の中で生き、存在し続けるマイコさんのラブドール…。
ぼくの美しい感傷は粉々に砕かれた宝石のように微かな光だけを放ち、息絶えるような呼吸を
していた。ぼくが所有しているラブドールなのに、彼女はぼくを苦痛に晒し、心の奥底まで
涸らそうとしていた。ぼくは息苦しさに胸部の肋骨がナイフで擦りあげられるような苦痛に
嗚咽を洩らす。そして、ラブドールの湿ったような薄紅色の唇が薄く開き、ぼくを笑った。
夏空に湧いた積乱雲の塊があっというまに空を覆い、突然降ってきた雨はふたたびぼくに偶然
を与えた。
「また、ここで会ってしまったわね」マイコさんはあのときと同じようにハンカチで髪をぬぐ
いながら小さく肩をすくめて言った。彼女の唇のなめらかさと潤いがぼくの心の中で旋回しな
がらあのときの彼女とあの男との交わりの憧憬をゆっくりと炙りだしてくる。
戸惑いに身を強ばらせ、言葉を失っていたぼくに対して、「また、この雨に何かを想像してい
るのかしら」と言い、くすっと笑った。
雨の音がぼくたちのあいだを静かにすり抜けてくる。強く振ってくる雨は、まわりのすべての
ものからぼくたちをさえぎるように靄のような白いベールとなって包み込む。いつのまにか渇
いた静寂がぼくには息苦しかった。そしてなぜそんなことを彼女に言ったのか…無意識に発し
た言葉だった。
「きみって、キスをしたことがあるの」
その言葉に眉をしかめた表情でぼくを見たマイコさんは、微かに頬を赤らめながら「あなた
はどうなの」と言った。
「あるかもしれないし、ないかもしれない」
「いったいどういうことなのかしら」
「ぼくの想像のなかに現れた女の子とキスをした記憶があるんだ」
キスをした女の子はぼくが所有しているマイコさんのラブドールだったが、もちろん彼女に
そのことを告げることはなかった。
「わたしも同じだわ。私の想像の中にあらわれた男性とのキスの記憶かしら…」。ぼくは彼女
の嘘に対して何も言わなかった。あの男に奪われていくマイコさんの唇がぼくの脳裏で麻痺的
な幻覚となって溶け、ぼくを冷たく突き放し、蒼い凋落へといざなっていく。